息子が昨日、怪我をした。 
かなり寝続けていたから、身体が怪我を治そうとしていたのだろう。



至近距離から蹴られたボールが、顔面に当たった。息子が3人目で、その子はよく人の顔面にボールを蹴っているらしい。メガネをかけずに体育をすることには賛否両論あるが、メガネをかけないから、顔面を狙ってしまうのかは分からない。



わざとではないから仕方がないが、何よりも驚いたのは、誰も息子を心配しない姿だった。



顔面シュート常習者がいれば、周りも慣れているかもしれない。息子は、メガネが壊れ、目を負傷し見えないまま、頭がふわふわした中で、痛みに耐えながら一人で保健室まで行かされた。



もし、意識を失ったらどうするつもりだろう? 保健室までの50メートルの道のりがどんなに遠かっただろう? どんなに心細かっただろう? 話を聞いて怒りが込み上げ、校長先生と話をしたいとすぐに電話をした。



担任の先生さえ電話がかかってこない学校に、とても違和感があった。
「君たちは、未来のリーダーだ!」
そう言って、リーダー教育をしている。



未来のリーダーがたくさんいる教育の中で、痛みに苦しむ生徒を誰も助けようとしなかった。もちろん、心配した子もいたようだ。それでも一緒に付き添うから、と言わない未来のリーダー達は、誰のリーダーでありたいのだろう?



付き添わないその姿が、学校の全てを表す気がした。



私が怒ると、学校はモンスター防止策を実行したのだろう。次々に様々な先生から電話がかかってきた。皆が心配しているのは、自分自身の身の安全に聞こえる。息子への丁寧な心配の無色透明な言葉が、電話口から聞こえてきた。



息子が中学生の頃、勝手にチャレンジしたくて開成高校を受験した。遠くの学校を勝手に受け、勝手に落ちて苦しんだ。息子は、真剣だったからこそ打ち砕かれた。



勝手な個人の行動に、学校はバラバラに対応した。
学校へ行く気力をなくし、遅刻ばかりする息子を、偶然を装いながら校長先生が呼び止めた。そして、遅刻を叱らず、挫折とは……と話をしてくれた。



学年主任は、空き時間に私に電話をしてきた。
「僕たちが息子さんを支えますから、お母さん安心して下さい。ただそれが伝えたくて」
私に短く言い、電話を切った。



息子の友人たちは、何も言わず、ただ息子にいつもの関わりをしてくれた。結果を聞かず息子を見て感じとり、何も言わずに普段通りに接していた姿が、息子には優しさに思えた。



バラバラな動きの中に、息子を温かく思う心が共通していた。勝手に傷ついた息子に、皆が温かかった。



教育とは、何のためにするのだろう?
いい大学、いい仕事、という言葉を平気で使う人は、何を「いい」と思うのだろう? 私にはその「いい」という言葉が差別的で、とても冷たく響く。



ただ一つ分かったことは、私が通わせたいと思う学校に息子は行っていないということだ。息子に付き添った生徒がいなかったことが、教育の全てを表している。



高校生活あと1年の春…
メッキが剥がれた現実を見て、教育のバラバラさ加減を目の当たりにした。



私はモンスターペアレンツの仲間入り。
息子が顔面シュート第一犠牲者を保健室に連れて行ったことが、今の私の誇りだろうか。そしてそのシューターは、先生たちのお気に入り。



息子に言われ、お気に入りには文句を言わず、黙っていることにした。彼からは、LINEで息子を気遣う言葉は全くなかった。



これが息子を取り巻く教育の現実だ。
息子には、この世界に染まらずに、今の息子のままであってほしい。