昨日、息子はテストを受けるために、学校へ向かう電車に乗っていた。
ふと見ると、慌てている子連れのお母さんがいる。
何だろう? 息子が見渡すと、同じ車両の離れた場所に、倒れている男性がいた。
意識を失った瞬間、顔面から倒れたようだ。
顔が血だらけになっていた。
「お客様で具合の悪い方がいます。どなたかお医者様はいらっしゃいますか?」
アナウンスが流れた。
たまたま、隣の車両に医師が乗っていた。
そして、たまたま看護師もいた。
ドラマのような光景だ。
息子が降りる予定の駅の一つ手前で緊急停止をし、男性を救急車に乗せることとなった。
黙ってその様子を見ていた息子は、男性を運ぶために必要ならば手を貸そうと、だいぶ前から覚悟をしていたようだ。
「男性を駅に移動させたいので、お手伝いをお願いします」
その声を聞き、すぐに手伝いに行った。
周りを見渡すと、誰も助けようとしない。医師、看護師、息子の3人で男性を運ぶこととなった。
どうやら男性は、半身が動かない様子だ。
「脳梗塞か、脳出血か?」
医師は冷静に男性を見ながら考えていたようだ。
血だらけの男性を見ながらも、息子は驚くくらいとても冷静に動くことができた。
足に器具をつけていた男性は、最初から半身不随だったのかもしれない。意識を失っている人を動かすのは、こんなにも重いものだと息子は初めて感じていた。
男性の足を持ち上げるのが息子の役目だったが、足を高くしてしまっていいのか、状態を悪化させないかを医師に確認しながら、何とか列車から駅のホームへと男性を運び出すことができた。
看護師の手は震えていた。
突然のことで、動揺したのだろう。
息子は、黙って医師と男性を見つめていた。
コロナ禍で中学時代に職場体験ができなかった息子は、リアルな医療体験をすることができたわけだ。
医師は、血だらけの男性の顔に、男性が持っていたスマートフォンを向け、中に入っているデータから親へと電話をした。病歴などを聞き出し、脳梗塞の可能性が高いことを確認する。冷静に対処をし、動揺をしない医師の凄さを目の当たりにした。
救急車が来て、男性が運ばれるまでの35分間に、息子は自分の生きたい道を考えていたようだ。もし、全ての夢が叶うとしたら、自分は医師になりたいだろうか? あまりに冷静に対処できている自分自身を見て、自分に問いかけてみたようだ。
もし、全ての夢が可能ならば、病気に苦しむ人ではなく、生きることに少し疲れているような人を、僕は元気にしたい。だから、できることならば、芸術の世界の中で生きてみたい。
息子は、自分の心と対話することができた。
「あの35分で、僕は将来のことを考えることができた。すごい職場体験だったよ」
息子は少し興奮気味に、私に話してくれた。
隣りの駅で、2本くらい列車は通り過ぎ、息子はテストに遅刻してしまった。
少し落ち着いた頃、怖さがやってきたけれど、それでも全てのテストを受けてきたらしい。
「あぁ、本当に良いことをしたね。テストの点数なんてどうでもいい。東大に行けることもすごいけれど、そんなことよりも、人を助けられる人であることが、何よりも嬉しいよ。そういうことができる子に育ってくれて、本当に嬉しい」
久しぶりに、息子の成長が嬉しくて、涙が止まらなかった。
「あの状況なら、助けて当然だよ」
息子は笑っていたが、実際誰も関わろうとは思わなかったのだから、当然ではない。
関わろうと思っていても、勇気が出なかった人もいるだろう。
そんな中、息子は誰よりも先に動き、医師の手伝いをすることができた。
息子は、器用な子ではない。
息子より優秀な子も大勢いる。
それでも私は、困った人のそばにすぐ近寄れる、勇気と優しさのある息子を誇りに思っている。
人に優しくある息子が、私にはとても嬉しく、誇らしく思えた一日だった。