「悲しみや苦しみを感じる度に、ピアノの音色は深くなる」
これは、義父が亡くなった時に、私が息子に話した言葉だ。そして、この言葉は、金色に輝いていた、と共感覚がある息子から、後になって聞いた。




息子は、担任の先生のためにピアノを弾いた。お世話になったから、支えてもらったから…そして、先生も、息子のそんな気持ちを全て分かってくれていた。



 
「息子がピアノを弾くと、ペダルを踏む音がうるさい」と別なクラスの担任の先生は、生徒達に話したそうだ。私が心配すると、息子は、「言わせておけばいい」とひたすら受けとめた。「ピアニストは、孤独と戦わねばならない」と、よくピアノの先生から言われていたからだ。




先生が言えば、当然、馬鹿にする子が出てくる。ある別なクラスの男の子が、皆の前で、息子のペダルの音などをからかった。




息子は、今怒っても、担任の先生だけは理解してくれる、と思ったらしい。練習後に、その子のところに行き、護身術を使った。怪我はさせず、痛みは与えられる。その子は痛みで泣いた。

 


息子は、決して殴ったりしないから、暴力行為は、皆を驚かせた。そして、学年主任は、暴力はダメでしょ!と息子を叱った。息子も、「僕がやりました」と潔く認めた。その状況を聞いた担任の先生は、慌てて息子のところに飛んできた。

 



「お前が暴力をふるうなんて、よほどのことだろう?何があった?」と心の中を聞いてくれたそうだ。そして、息子が理由を話し、息子をからかった子を、叱ってくれたそうだ。




私は、息子からその話を聞いて、ありがたさで涙が出た。なんて温かい先生だろう。毎日、毎日、先生に支えてもらい、そして、先生に感謝しながら、息子は、心の色を音色に加えていった。