
「大事にされすぎた子は、小学生になって校庭で転んだとき、手をつけずに顔に怪我をしてしまうようです」
親が転ぶ前に支える姿が目に浮かぶ。
それを聞いて、息子の中学生の頃を思い出した。歩きながら、電柱にぶつかり目の上を縫うくらいの怪我をして帰ってきたことがあるからだ。
「歩いていたらぶつかった」というのだから、個性的とも言えるが、育て方を間違ったかもしれない。そんな息子は、歳を重ねながら、ますます人生を転ぶようになったのを思い出す。
小さな子が転ぶと思っても、手出しせず、転ばせることも愛情と言えるだろう。痛い思いをさせたくないと、守っているだけが愛情ではない。
誰もが十分分かっているけれど、親は人生という見えない道においては、そうもできないこともある。入試情報を必死に集め、ランチ会に参加しては情報交換をする。良い塾はどこか周りからの声を聞き、成績を見ては心配をする。我が子には失敗してほしくないと思ってしまうのも理解できる。
でも、それはもしかしたら、小さな子が転ぶ前に支えてしまうのと同じかもしれない。
息子は、この4年間、これ以上できないくらい努力をしてきた。そして、派手に転び続けてきた。
今は、その反動が大きいのだろう。失った時間を取り戻そうとしているかのように、動き回ってばかりいる。
最近は、特にテニスをしたいと話す。
きっと、子どもの頃に好きになったものは、ずっと忘れないのだろう。何でも慎重だった息子が、テニスの体験レッスンのときだけは、反応が違っていた。
「テニス習いたい」とその場で言い張り、すぐにスポーツクラブに入会したくらいだ。そんな習い事は初めてだった。
大学のサークル費も、一人暮らしの息子には楽ではない。アルバイトはまだ始めたばかり。
切り詰める生活の中で、息子に重くのしかかる。息子の大学だけが高いのかと、サークル代を調べてみると、テニスサークルはどこでも年間1万5千円は普通のようだ。息子は1年で2万円のようだが、それでもテニスがしたいと話す。
何でもやってみたいことをすればいい。
私は息子にいつも語っている。
アルバイト、サークル、例え無駄なように見えることでも将来の財産になる。帰りに何気なく友人と話をした時間が、後の人生を豊かにしてくれることもある。
「楽しいよ。大学が合ってるね。でも、周りはやっぱり幼く見えるかも……」
幼い頃から同級生より大人びていた息子は、やはり今でもフルパワーで話せる友人は少ないのかもしれない。それでも、家の外の社会に出て「楽しい」という言葉を発したことが今までなかったから、やはり大学生活の中で息子の世界は広がっているのだろう。
「やっとラケットを買ったから、今度見せるね」
そんな明るいLINEのメッセージがやってきた。
人生で何度も転んだ経験のある息子だからこそ、転んだ痛みと立ち上がり方を知っている。
転んだ姿を見る度に、親としては苦しいことも多いし葛藤もあるが、痛みの先には、我が子への信頼が強くなるのを感じる。
何とかやっていくだろう。
困れば何か言ってくるだろう。
子どもの成長にいちばん必要なのは、親が子から離れることかもしれない。中学生からは、一歩ずつ一歩ずつ離れる準備が大事なのだろう。
アルバイトのことで、心が疲れた息子とメッセージを交わした。
「仕事は、どんなに長く働くかではなく、誰と出会えたかじゃないかな?」
そんな言葉を息子に送ってみた。
私自身がそう感じるからだ。
慣れない塾の環境で、息子は代講などに追われるようだ。教え方もまだまだだろう。気疲れすることも勉強だが、息子には今しかできないこともしてほしい。
バイト先が合わないと感じたならば、その職を離れてもいい。大学生にとっていちばん大切な仕事は、「学生であること」。勉強だけをしろとは言わないが、好きな勉強をとことん追究してほしい。
ビュッフェレストランに来て、あれもこれも食べたくなってしまうように、今の息子は優先順位をつけられていないのかもしれない。たくさんの美味しそうな料理に手をつけてみたくなるのだろう。
それも人生勉強。今はたくさん味わってみるのもいい。
息子らしさは、少しずつ表れつつも、まだまだ自分が見えていないようにも見える。
だからこそ、まずはしたいことをする。
その先に、いつか自分が歩みたい道が見えてくることだろう。
「僕は、もう研究者にはなれないから」
そんなネガティブなことを発してもいたが、研究に夢中になれば自然とその道を歩むことにもなるかもしれない。どんなことでも、チャレンジもせずにネガティブに道を閉ざすことだけはしないでほしい。
息子を思わない日はない。
寂しいけれど、素っ気ないLINEのメッセージを読みながら、息子の今を思う。
親が転ばせたくないのは、転んだ我が子を見るのが辛いから。それは、我が子を信じていないことでもある。小さな我が子が転ぶ姿を見つめながら、少しずつ親もトレーニングしていくといいのかもしれない。
何が最善かに悩み、もがき続けた子育ての中、転ぶ姿を見つめた分だけ、今は安心感があることに気づいた。
与えすぎ、与えなすぎはよくないが、その加減が難しいのが子育てでもある。
我が子を手放してからが、第二の子育ての始まりなのかもしれない。
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