
「忙しいっていうのは、言い訳よ。時間は、つくり出すものなの」
高校生の頃、生花を習ったことがある。そのときに、先生が口癖のように言っていた言葉だ。生花は全て忘れてしまったが、先生からの時間に対する考え方は今でも心に残っている。
「忙しくて……」
曖昧とも取れる、何かができなかったことへの理由づけ。相手を傷つけないように、何かを断る時にも使える便利な言葉でもある。
でも、忙しさを理由にしていると、大切なことを見失うこともある。
最もこの言葉が有効でないのは、子育てだろう。
私は、塾講師をしている。子どもたちが休んでいる間に働くのが、お決まり。だから長い休みほど仕事が増える。我が子が長い休みに入ると、いつもよりも一緒にいられない。
普段より仕事が多い私は、時間的にも余裕がなくなってしまう。
だからといって、「忙しいから子育てと家事は休み」なんてことにはならない。仕事に加え、日々の雑事に追われるときに限って、息子は問題行動に出ることがあった。
私は周りが見えなくなり、息子の小さな変化に気づかずに、小さく発した「寂しさ」を見落としたのかもしれない。特に、塾講師は夜遅い時間まで働くから、息子が一番いてほしいときにいてやれなくなる。
子どもの問題行動が出たとき、それを叱る前に、一歩立ち止まって、自分を俯瞰してみる。すると、見えなかったものが見えてきて、忙しく過ごすあまりに、我が子の寂しさに気づいてあげていなかったことに気づいたりする。
息子が問題行動を繰り返すうちに、そんな「法則」に気づくことができた。
私が仕事に夢中になるほど、いつもと違う空気を放っていたのかもしれない。その空気を察し何も言わなかった息子の寂しさに気づかず、「忙しいから我慢して」と私は語ってしまっていたのかもしれない。
「法則」に気づいてからは、忙しいときほど、自分の心にブレーキをかけるようになった。
それでも、忙しいときほど自分を俯瞰できないこともあるから難しい。
分かっていたつもりだが、つい最近、私は息子にまた失敗をしてしまった。
浪人生として入試が終わった3月。
この1年、何度かアクセルを踏もうとする自分自身に、ブレーキをかけ続けてきた。仕事に夢中になると、自分が見えなくなるからだ。今いちばん大事なのは、息子だと自分にも言い聞かせた。しっかり働かない人だとどんなに人から悪く言われてもいい。息子をこの1年は支えてあげたい。
2月の入試が終わり、あとは発表を待つのみとなった。私立も合格していたから、春からは大学生になれる。
「もう大丈夫!」
そう思い、アクセル全開で私は仕事をし始めた。
「うちにいるんだから、お洗濯しておいて」
そんなドライな言葉を残し、私は夜遅くまで働き続けた。
「ご飯作ってよ。一人暮らしするんたから練習してみて?」
そんな言葉を発しながら2週間くらいした頃だろうか? 息子の様子が少しおかしくなっていることに気づいた。
思えば、友人との連絡はほとんどゼロだった。
自習室に行けば、後輩がいて、息子の居場所があった。
入試が終わり自習室にも行けなくなり、たった一人で朝から晩まで一人の息子には、誰かといるという時間がほとんどなくなってしまっていた。忙しい私は、自由で羨ましいと思っていたが、人は自由だからこそ苦しいこともある。
息子には、どんな孤独感が押し寄せたのだろう?
受験の疲れが少しずつ出始め、新しい生活の不安、第一志望がうまくいかなかった悔しさも重なり、燃え尽き症候群的な症状が出始めてしまった。
力が入らない。
何もしたくない。
軽い鬱のような症状がある。
「またやってしまった。息子の立場に立てなかった……」
心の中で後悔が押し寄せた。私は忙しさを理由に、また息子の心を見つめるのを忘れてしまったのだろう。
子育てとは、とても繊細なもの。
忙しさにのまれると見えなくなりがちだが、それは理由にはならない。
でも、失敗したら、我が子にすぐに寄り添えばいい。人は失敗するのだから、気づくことが何よりも大切。忙しさで日々の生活に翻弄され始めたら、少しだけブレーキを踏んでみる。
「最近、忙しいから……」
今朝、私はジムへ行けなかった。息子の入試あたりから始まり、この数ヶ月完全にペースを失ってしまっている。言い訳を心の中で唱える日々。
忙しいは理由にならない。
そして、健康のために、ジムに行くのはブレーキを踏まず、アクセル全開で頑張らねば……
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