奏鳴する向こうに。

奏鳴する向こうに。

好きなものを書いていく覚書

極刑判決。アオミはそれで結審した。国選弁護人は心神耗弱を訴えたが容れられなかった。
極刑に値する悪質な殺意が認定された理由は主に4つ、
1.緻密に時限装置付きの爆発物を製造していること。
2.爆発物が乗客にとって致死的となる可能性の高い頭部付近で炸裂することが充分予見できたにも関わらず、それを網棚に置いていたこと。
3.現場となった列車内から事前に下車している事実は、爆破によって乗客に重大な傷害がもたらされることを充分理解した上での保身と考えられること。
4.被告は事件後、みずからの行為の結果を知りながら出頭することもなく、通常の生活を平然と続けていたが、これは万が一逮捕を免れていた場合、一方的に個人的恨みを募らせていた元交際相手に対しその後も殺害を企図した可能性があり、もしくはその企図を今回のように一般市民をも巻き込んだ無差別テロとして拡大実行すべく第2第3の爆破を計画した可能性すら考えられること。

以上の殺意認定理由に対し、弁護人は事前の接見でこの件には悪質なテロリズム性がないことを確信してそれを公判でも訴えたが立証は難しく、アオミ自身、上のいくつかの点に反論のそぶりを見せたもののその都度途中で口をつぐんでいる。

アオミは当初から致命的にひどく疲れており、自身の深みにある何かが、すでに自身の極刑を決めていたように思われる。

公判前、任意同行時からアオミはすべて洗いざらい自白したわけだが、取り調べは執拗かつ過酷を極め、アオミより2つ3つ下に思える正義感に燃えた新任の警官などは取り調べの横から必ず罵倒の言葉をぶつけてきた。

これまでの人生でそれほど人から褒められてきたわけではないが、罵倒されるということにも不慣れだったアオミの中で、何かがふっつりと閉じた。
あたかも寂れ果てた商店街のシャッターのような錆びたとばりが、ひとつまたひとつと降りて、かじかみによる無感覚に陥り、たまに口から出る言葉は貼り紙による店主挨拶のようになっていった。
〈一身上の都合により閉めさせて頂きます。永年のご愛顧ありがとうございました〉

このように公判以前にすでにアオミの中で裁きは終わっていたのである。

現在客観的にこの極刑判決を鑑みるに、当時相次いでいた爆弾テロを根絶して社会に安寧をもたらすべく、検察としては絶対に酌量などあり得ず、極刑は譲れないものであったし、その意は司法にすら通底したのではないか。すなわちこの判決にはいわば「見せしめ」としての側面があったのではないか、という意見は当時からあった。

しかしたとえそうだったとしても、その時のアオミ本人には全くどうでもいいことであった。

赤ん坊から父親を奪った、その重い罪の積み木でみずからの頭蓋の空洞を満たすこと、それだけが今やアオミの、痛みの堪え方となっていた。

死刑囚の房に、受刑の「その時」まで収監されていた歳月は結果的に約5年。その最初の1年あまり、アオミは自身の影として生きた。

母親の面会は拒み、その他の面会希望者もなく、そもそもアオミには外界のひとの存在を受け留める余裕はもはや全くなかった。ただ鉄格子と灰色の壁に囲まれた畳の上に鎮座し、小さな小窓の向こうを太陽や雨風や鳥がよぎっていくのを見ている、自身の影として生きることにした。
幾度かアオミはこの影としての生き方を心地よく思ってしまっている自分に気付く。

しかしそのたびに、罪の重しを脳内に積み直す。そして明日にも「声かけ」が来て、吊るされることを思う。

ただそうするとふと背中が痒くなったりする。この身体は、明日にも吊るされて消されることなどまるで別な星で起こる他人事のように思うのか、「痒さ」など訴えているのだ。そんな呑気なわが身が、どうしようもなく愚かでけなげな生き物に思えてくる。

つまり影である自分が、わが身という無口な生き物を飼って暮らしているのだった。

こうして孤独な影としての1年が過ぎた頃、突き抜けた、反抗的な明るさがふと生まれた。それは穏やかな光などではなく、何でもいいから「蹴散らしたい」という衝動そのものが「光」のふりをしているような、そういう明るさであった。

聖書や経典などの本を置いていく宗教関係者の言葉がどうしようもなく薄っぺらく感じられ、どこか他人事と思っている感じが、たまらなく虚偽に感じられた。
わが身という生き物が反抗期を迎えたのであろうか。

影としてのアオミは、そのわが身の扱いに手こずりながらも、こういう罰を考えた。

すなわち、暗く生きても明るく生きても結末が同じなら、「その時」が不意に来た時、どちらが手ひどいショックを受けるか。それは一切を忘れて明るく生きていた場合に違いない。
その残酷な落差で、反抗期の「わが身」を葬り去るという罰。

そうだ、妙にストイックに覚悟を決めて生きるのは、〈衝撃〉に備えている分、かえって卑怯な保身ではないか、と。

明るく、この悲しき肉体として生きるのだ、まだ影ではないのだから。どうせ近いうちに本物の影になる。それまではなるべく高いところにいこう、そしてそこから落とされて、確実に、残酷に、自分が終わるのを見届けるのだ。

歩いていくのはこれまでと同じ砂漠に違いなかったが、少しでも砂丘の尾根を歩くようにして、一瞬でも、数メートルでも遠くが見えるようにして、心をうきうきとさせながら歩いてみるのはどうか。
罪など忘れ果てたかのように生きて、まさにその頂点で、この愚かなわが身は、ゆらゆら揺れる地獄の影と成り果てればいいだろう。

そう思えた時、ふと横を見ると、人なつっこい笑顔を浮かべて、まだほんの少年に見える男がこちらを見ていた。

晴れた秋の午前、収監者たちが30分だけ中庭で日光浴をさせてもらっている時である。
ここより海水浴場が似合いそうなその笑顔は、死刑囚たちが思い思いにうろうろするこの中庭にあって、あまりにも不似合いであった。
目が合うと喋りだす仕掛けの人形なのか、
「お兄さん何やったひと?わるいことする人に見えないよね」

ずけずけとした態度。しかしどんな狭い隙間にでも入ってくる何の他意もない小春風のようにも思われる。
拒むべきか受け入れるべきか、アオミはこの久しぶりに会った気がする「他の人間」に身構え、戸惑った。するとその者は急いで付け加える。
「あ、ぼくはね、一家皆殺し。ほんとは兄貴がやったんだけどね。義姉(ねえ)さんとぼくが愛し合ってたことが分かって、義姉さんも、お腹の子も、あと子ども2人も、皆兄貴がね。真面目だから兄貴はね。キレたら止められなかったんだね。そして全部お前のせいだからお前がかぶれって、ある夜血まみれで言われたよ。おれは義姉さんが大好きだったから、義姉さんのいない世界になんか何の未練もなかった。義姉さんが産んでくれるはずだったぼくの子は、こんな辛い世界を知る前でよかったよ。でも兄貴は悪くない。辛かっただけだ。ぼくも辛い。でね、今は〈アオヒゲ〉と〈オトヒメ〉と3人で聖書とか読んでる。お兄さんも一緒にどう?」

アオミは不意に機銃掃射されたような、しかし妙に心地よい気分で、居心地に困り、この秋の日陰に何とか溶け入れないものかと考えていた。言葉が出ないのを察して若い男は続ける

「ぼくは〈クク〉と呼ばれてる。番号が9981だから〈アオヒゲ〉が付けた。〈アオヒゲ〉はね、60がらみのおっさんなんだけどインテリなんだ。どっかの教授だったのに教え子の人形みたいな少女何人も監禁してテツガク?教えて死んだら埋めてたらしい。最低だろ?でぼくがアオヒゲって付けた。聖書にいちいち突っ込み入れるんだ。面白いだろ?お話に突っ込んでもしょうがないよね。ただ黙って信じてああよかった、って、なんでそれじゃいけないんだろ」

警笛が鳴る。ククは急いで付け加える、

「オトヒメはこれまで何度もお兄さんも会ってるはずだよ。聖書持ってきたおじさんいるだろ。お兄さんよりちょっと上くらいの。この冷たい竜宮でひとりだけもてなしてくれるからオトヒメ。アオヒゲが付けた。じゃまた」

いつもなら秋の陽射しと別れるのが辛いところ、今日のアオミはどこかほっとした。が、独房でひとりになるとハッとして、額に右の手のひらを押しつけて独白

「ああ、明るく生きるんだっけ」


(つづく)