私が30代の時に出会った先生で、先生のWebサイト『鈴木邦男をぶっ飛ばせ』のサイト管理を一部手伝わせていただいた。当時は赤報隊事件が時効となった頃で、その時の講演会の記事を私が書かせてもらい、先生に校正していただいた。そうだ、私が、文章プロに初めて校正してもらったのは鈴木先生が最初だったのだ。
当時はまだ透析も始まっておらず、時間的に融通が聞いた。先生の講演会について行き写真を撮らせてもらったり会場での書籍の販売を手伝ったりした。講演会に参加された方々が皆、バリバリの右翼団体の構成員の人たちでなぜか支払いのお金が万札でお釣りが無くて冷や汗をかくという経験もした。
野村秋介事務所に届くはずの荷物が、何故か私の家に届いて冷や汗をかくという経験もあった。当時、先生は読み終えた本の処分に困り私の家に送るということがあったのだが、どうやら梱包を2つ作って荷札を貼り間違えたらしい。
透析開始の一年前にシャントの手術をするため入院していた時、鈴木先生は美人2人を連れて見舞いに来てくれた。透析をしなくてはいけなくなったことを伝えた時、「トウセキって、あの石を投げる?」という元運動家らしいボケをしたことを今でも覚えている。
透析が始まって時間的な余裕がなくなり、先生のサイトの手伝いはできなくなってしまったが、その後しばくの間は半年に一度くらい現金を送ってくれることがあった。当時はまだ子供も小さかったのでそれは本当に助かった。先生は時々書籍の印税が入ると、自分のことよりも人のために使ってくれる人だった。
なんとも言えない。自分だってもう54歳で基礎疾患持ちだ。自分の周囲で誰が亡くなっても不思議ではないが、お世話になった人だけに強い寂しさが心に重く感じられる。
左右の思想のバランスが取れた言論人。私の思想的なバランスを矯正してくれたのも鈴木先生である。右傾化される今の日本に1番いて欲しかった人が逝ってしまった。
鈴木先生、心よりご冥福をお祈りいたします。

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