命に詰め寄る医療指導なんて効果は無いように思うよ | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

私も透析を始めたばかりの頃は、透析を知らなくてねえ。透析早く終わらせて帰りたいとか口にしたら、スタッフの一人に、それなら死ぬよ、と言われたことがある。もちろん今だったら彼が言った言葉の意味は十分に伝わるんだけれど、当時は人の生き死にを軽く口にするもんじゃないと、気持ちの上では反発したな。正しいことを言っているのよ。でも、それじゃあ人の心に真っ直ぐは届かないこともある。

透析で救われた命だから案外死なないんじゃあないかと感じる患者も少なくはないんじゃないかと思う。そこへ体重増えすぎたら死ぬよ、とか、短い時間だと死ぬよ、という言葉は冷や水をぶっかけられた心境じゃないかねえ。まあ、ショックで言うことを聞く患者もいるかもしれないが、人の命に詰め寄る形で言うことを聞かせるというのもどうなのかなって思う。

もちろん体重増やすのは本人の責任なのは分かるけれどね。でも怯えさせてって、言うのはどこか人権意識に欠けたやり方だ。社会学者の阿部謹也氏の透析中のインタビュー映像では、ドイツの医療では絶対にそんなことはしないと言っている。水分取ろうがバナナを大量に食べようがそれは本人の自由で、その権利を守るべきと言うのが意識の先に来ると言っていた。

大切なことに気がつかせるということが一番大事だ。患者に限らず、人間誰でも大切なことは気がつきにくい。そこに気がつかせるような伝え方があると思う。子育てや教育だって、ガミガミ言えば言うことを聞くと言うことはまず無い。本人が自分の中で大切な事が何か気がつく事で、ちゃんと勉強をするんだろう。本当は病気を体験した患者は1番気づきを得やすい位置にいるんだけれど、伝え方が最悪だと1番遠くへ行ってしまうことも確か。

でも気づきを与えることも難しいところだと思う。たまたまスキルでこなせるケースもあるかもしれないけれど、やはりそれは知識や技術ではなく、人間性とか長い人生経験とかで培ったもっと奥の深いものだと思うよ。

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