遠藤周作『彼の生きかた』 | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

どうも初期の風邪を引いたみたいで喉がちょっとだけ痛む。仕事に集中しているときはそれほど気にならないのだが、休みの日になると気が緩むのか不調が出てくるみたいだ。

今日は昼間にぬれマスクとのど飴を買ってきた。喉が痛むと水分が欲しくなる。これは喉が乾くというよりは、痛みを抑えたいということなんだと思うが、そうは言っても無尽蔵には飲めない体なのでのど飴を舐めて耐え忍ぶしかない。それにしてもこういうときは中二日が辛い。まだ明日の昼間もあるからね。

今朝はわりと早起きして6時くらいからKindleを片手に本を読んでいた。遠藤周作の『彼の生きかた』。Kindleで読む本は再読が多い。かつて読んだ本を電子書籍で再入手して読み直す。この本は10年くらい前に偶然書店で手にとって読んだら面白かったものだ。

遠藤周作といえば小説作品なら重厚テーマのもの、エッセイなら笑いながら読めるものという感じのものが多い。小説なら宗教がテーマとなっていたり、死や生きかた、贖罪といったものを描いたものが多い。『彼の生きかた』はそこまで重いテーマではないが、自分には共感を覚える部分が多かった。

主人公の一平は子供の頃から吃音があり、周囲に馴染めずにいた。小学校でもどもることが原因でいじめられ、幼馴染の朋子にも「弱虫」となじられてしまう。自然と言葉をかわす必要のない動物との触れ合いを求めていく。音楽の教師に「将来は動物の学者になったらよい」と励まされ、その道を志すようになる。

終戦後のどさくさで朋子とは離れ離れとなってしまい、一平は東京で猿の研究所の研究員となる。とある山中に潜む猿の集団の餌場を作り猿の観察を続けるが、そこに観光開発の手が入ろうとする。一平は猿の世界に人間が近づくことは人間がかかるような病気を猿が患ってしまったり、猿の自然の中での習性が変わってしまうと反対するが研究所の中での立場が危うくなっていく。そんな時に観光開発の会社の専務の隣に見覚えのある女性がいることに気がつく。それは幼馴染の朋子だった。

遠藤周作はなぜこのテーマを選んだのだろうと少し不思議に思う。キリスト教が絡むでもない。たしか肺炎か何か患っていた時に、身近に鳥を飼っていたという話があるので動物が好きだったのかもしれないが、どこか実話っぽい話でもある。こういう実話を遠藤自身が聞いて関心を持ち、小説にしたのかなとも思う。

この本をなぜ読み返したのかというと、件の都内の猿の逃走騒ぎが頭にあったからだ。逃亡中の猿に気持ちが動いたのは、この小説を以前読んだからだと思う。猿は普通集団で行動をするが、まれに単独行動に移る猿もいる。ボス猿の権力闘争に敗れたとか、仲間からのけ者にされてしまったとか。

ニュース映像で見る限り逃走中の猿はなかなかのイケメンである。見た目の美しさもボスになる条件の一つだと『彼の生きかた』には書かれていた。この本を読んでいたので彼の逃走劇の背景に想像力をかきたてられたのだ。未だに捕まらないのは人間に慣れているということも考えらえる。身近で人間の生活を観察していた経験があるのではないだろうか。おそらく彼の目には警官の制服を着ている人間は、自分を捕獲に来ているということくらいは理解しているように思う。

件の猿は昨日は豊島区に出現したそうだ。ここまでくるとこのまま逃げ切って欲しいとも思うようになった。この先都会を抜けてまた別の山の仲間と遭遇して、野猿としてまっとうしてほしい。都会での逃走劇は彼の力を一層強めるように思う。その力をもとにどこかの猿集団のボス猿に帰り咲いてもらいたいものだ。

こんなことを考えるのは『彼の生きかた』の主人公一平の視点を知っているからかなあと思う。小説の世界と現実の世界がシンクロする。これは面白い読書のあり方だ。

と、こんな感じで今日は終日読書をして過ごした。まだ少し喉が痛いので早めに休んで明日からの仕事に備えなくては。ちょっと体重の増えが心配。寝汗も少しあったので少しは体の水分が抜けているとは思うけれど。

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