再入門・遠藤周作 | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

今日は午前中はメモを取りながら読書していた。ちょっとした文学研究だな。昨日の瀬戸内寂聴に続き、遠藤周作である。二人とも宗教を題材にした作品を多く手がけていて、対談集も出ていたと思う。多分、遠藤さんとの対談集で、瀬戸内寂聴さんのことを知ったのだ。

今日は遠藤周作の『落第坊主を愛した母』を3時間かけて半分読んだ。この本は遠藤周作没後10年を記念して出されたもので、母親を題材にした短編小説を集めたもの。

印象に残った文章をつらつらと情報カードに書き写す。何か心に訴えかけてくるものとか、こういう文章を書いてみたいとか感じたところはペンを走らせる。本当に基礎的なことになるが、作家の文章の書き写しというのは、文を書く上での勉強になる。これを手書きでやると、作者がどういう思いでその文章を書いたのかとか、ぼんやりとだが思い浮かんでくるから不思議だ。

『童話』という掌編が収められていて、そこから写した文を紹介すると、

<大広場とよぶ街の中心と繁華街の浪花町との角に綺麗な露西亜菓子を売る店ができました。日本人や露西亜人の家族がサモワールでお茶を飲み、乾葡萄の入った菓子を食べています。父親とカラスと妹はあかあかと燃えたストーブの横に座りました。アイスクリームの匙を口に入れたとき、カラスは家でひとりぼっちの母のことを考えました。>

文体が童話調であることも珍しい。この舞台は戦時中の大連で、周作の父と母が離婚するという実際のエピソードを土台にした物語。話しの中のお父さんは、息子のカラスと妹を街に連れ出し、お母さんと分かれるということを話すかどうか逡巡している。息子のカラスは母を一人家に置いてきたことで、母に対する裏切り行為をしているかのように思い苦しんでいる。

遠藤周作の作品というと、高校生の夏休みの読書課題になったりするだろうか。キリシタンを題材にした『沈黙』とか、戦時中の九大付属病院で米兵捕虜の生体実験が行われた事件を題材にした『海と毒薬』など、ハードで重苦しい作品が多い。

でも作家人生の後半になると少しライトな文体になり、エッセイになると実にユーモラスで軽快な作品をたくさん書いている。遠藤さんのエッセイには随分助けられたというか、笑わせてもらったということが多い。

デビュー時に重苦しい作品をたくさん手がけているのだけれど、彼は晩年は音痴の人だけを集めたコーラスチームを運営したり、素人だけの演劇集団の指導をしたりとバイタリティあふれる活動をしてきた。その多彩な才能を生かした活動が増えると本業の文章も軽快になっていき、読みやすくそれでいて深みのある『深い河(ディープリバー)』を生み出している。

もともと体の弱い人で、劣等生でもあった。気の強い母親が育て、離婚やキリスト教会への洗礼など、母親の影響から作品の土台を生み出している。母親に文章だけはいいとほめられたことがきっかけで小説家になったように書かれているが、実際にはもっと深いところで表現の糧を母親の生き方から得ていると感じた。

遠藤さんの本を読んだのは久しぶりだった。この本は没後10年経ってからの新刊で、実にありがたい気持ちで買って読まなくては、と思ってなかなか読めないでいた作品だ。10年前、芸大で文章を学んでいたときは好きで何冊も読んでいたのだが、仕事に本腰を入れなくてはいけなくなってきて、ついに本棚に飾ることになった本だった。

つまり再スタートでまた遠藤周作作品に触れたことになる。
気持ち的には、古い恩師の元にまた入門したような感じである。