慢性腎不全という病名を言われてから、透析になるまでは随分と時間が掛かったと思う。当初は、1年くらいで透析に移行すると言われたのが大学4年の頃だ。就職先が決まってすぐに自分が病気であることを知った。
まあそれからのことはあまり書きたいという気持ちは無い。それは随分と落ち込んで長い年月を過ごしていたので、単なる苦労話になってしまうからだ。
でも、今はそういうことも含めてあまり悲観的に考えることは無くなったと思う。余命がどれくらいになるかなんて、最後まで生きてみないと誰にも分からないし、余命がどれくらいでと今からくよくよしても仕方が無い。いよいよそのときが来て、あ~なんか物足りない、後少し何をしておきたいという気持ちであれば、少し慌てるかもしれないし、まあ十分いろんなことができたなと思えればそれで良いと思う。
少なくとも思うのは、いつくるか分からないものに対していつまでもくよくよと思うことはしたくないと考えている。透析は色々なものを私から奪ったとは思うが、逆に色々なことに気がつかせてくれたし、色々なことをくれたとも思う。それに色々なことをしてきたし、色々なことに恵まれたりもした。結婚もしているし子供もいる。自分の家族を持って生活ができることは何よりも幸せだ。自転車も文学も、文章書きも模型作りも、料理も、旅行も、写真も、秋山優香も、透析後に得てきた幸せは本当にたくさんあって、これほど自分の人生を楽しくさせてくれるものはないと思う。自分の心の中を充実させてくれる大切な宝物である。
もちろん、これで十分だからいつでも…とは思っていない。明日、明後日、今週一週間、次の一ヶ月、1年先、10年先と、できる限り毎日を充実させて生きて行けば、まだまだ色々な幸福が得られることになると思っている。
いつか最後のときがきたとき、本当に楽しい人生だったと思えればいいじゃないか。透析なんてしてつまらない人生だったなんて思いたくはない。奪われたという事実があるとするならば、いくらでも奪い返せばいいと10年くらい前には思っていたが、今は奪われたという風にも思わなくなっている。少しだけ達観できるようになったと思う。
もう少ししたら、透析は自分にとって何の負担もない何でも無いことになる時が来るように思う。気持ちが色々なことに充実すれば、色々なことに満足感を得られるようになればきっと大丈夫だと思っている。
YD