モノが書けないとき | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

最近、思ったように文章が書けないでいる。こういうことは長く文章を書いていると、たまにはあることで、こういう時は大体、日常に追われているときなんだろうなって思う。

でも、書けないという気持ちも文章にすることはできるので、その気持ちを打ち込んでみる。

まず、言葉が出てこない焦りがある。

いや、まあこういうこともあるさと、落ち着いてみる。

以前の自分だったら、文章が出てこないことに対する焦りがもっと強かったような気がする。それでも文章にせねばという気持ちが強かった。

今は、自分の心が、時間に流されているんだろうなって、少し離れたところから自分を冷静に見ている自分がいる。

4月までに、やるべきことが色々とある。今までやってきたことのまとめと、次にやるべきことの準備と。気持ちが仕事に取られることは、今の時期ならきっと当たり前なんだろう。

ここしばらく、一週間が過ぎるのが速い。透析と透析の間隔も短く感じるし、それに次の朝が来るこのが早い。日常が平凡になっているとも言えるし、業務多忙で時間に追われているとも言える。

やっぱり、こういうときはどこかで入力の時間を増やさないといけないんだろうなって思う。自分の気持ちを揺さぶるために本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を見たり、映画を観たり…。自分の気持ちの中に、「言葉」が生まれてくるように、水や肥料をあげないといけない。

それに自分の気持ちを掘り起こしてあげることも大事だ。自分の気持ちの中にある、自分が気がついていない気持ちや、忘れている言葉、忘れてしまった大事な気持ちを探すことも重要だ。

方法は分かっている、だから焦る必要は無い。今は、自分の気持ちが欲していることをしてあげればそれが一番いいのだと思う。

心が沈黙することは怖くない。それは本当の沈黙ではないと分かっているし、次への起爆剤が心のどこかにあると分かっているから。そのときはもっと自分を変えることができるかもしれないし、新しい何かを生み出すきっかけになるかもしれないから。