この前に書いたものは | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

一見すると普通の文章に見えますが、散文詩と呼ばれる詩です。

普通、詩として書かれているものは定型詩って呼ばれるものです。定型って何が定型なのかというと、書き方が定まっているんですね。例えば、

汚れちまった…

今日も…

明日の…

という具合に、先頭の文字の書き出しが揃っていたり、行数が決まっていたりします。
散文詩は普通の文章のようにダラダラと書いていく。書き方が定まっていないので散文詩と言います。

日本人の散文詩ってあまり見かけないですね。詩と言えばどんなものでも定型詩に見えますが、散文詩をまとめて書いた人が、ボードレールという人です。

ボードレールの詩集には『悪の華』や、『パリの憂鬱』といった作品がありますが、どれをとっても非常に難解です。今回、私が書いた『善悪の判断を…』は、雰囲気的にはボードレールに似ているかもしれません。彼の生活は非常に荒んでいました。親からの財産分与を親戚から抑えられ、非常に困窮した生活を送っていました。

稀に、彼の作品で分かりやすい優しい視点で書かれたものに出くわします。彼が好きになるのは同じくらい困窮に暮らす人たちで、こうした人たちの生活を描いた詩は、何となく共感出来るのですが、他の作品は、嫌になるくらい荒んでいます。

たまたまちょっと嫌な思いをしまして、こういう気持ちも作品に昇華できないかなと思ったら、こういう散文詩になりました。それから写真と文芸作品の融合は前々からやってみたかったので、秋山優香さんの写真を使ってみました。

作品としては、ボードレール風のダークさが出ていますが、結びには希望へと繋いでいます。その辺がうまく出たかは私の文才の問題ですが、個人的には「嫌な思い」を作品に置き換える事で、すっきりした気持ちになれました。

文章芸術もまた心の内面を描いたものであり、エンターテイメントな作品では無いので人間の暗部を見る事もあります。そうした作品はどうしてもマイノリティにはなっていくのですが、こうした作品を書かずにはおれないボードレールのような人物もいるのです。

ぜひ、こうした作品にも触れて、自身の内面にも目を向けてもらいたいと思います。


作品解説 稲生キヨシ