大津市中学生のいじめについて | 現在と未来の狭間

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今週は忙しくて危うく考えていたことを忘れそうになっていた。

大津市中学生のいじめについては、色んな意見が百出しているけど、概ね教育委員会や中学校の隠蔽の酷さや、いじめの陰湿すぎるやり方に批難が集中しているようだ。

昔、「葬式ごっこ」という事件があって、その頃から事件の本質は変わらないし、大人たちの対応も変わっていない。いじめの存在を無視し、隠蔽し、無かった事のようにする。更には、いじめられる側にも原因が有るという変な理屈まであった。これは加害者側にも人権がある、みたいな変な理屈と変わらない。いじめられる隙を見せたのがいけないと言っているようにも聞こえるが、全く持って冗談では無い。

いじめは、人の弱みにつけこむ非道な行為だと、非人道、野蛮極まる行為だと何故大人が言わないんだ。他者に対して自分が優位だと分かると、その優位性を守るため他者に対して攻撃的になる人間がいる。これは一種の精神疾患で、フランスの学者は一種の変質者だとまで言っている。

放っておいたらいじめの行為は歯止めが効かなくなるから、本当ならいじめは厳罰を持って対処した方が良いと思う。

いじめているやつは自分の行為に歯止めが掛けられない、自己のコントロールが効かない人非人だ。だからいじめかたもエスカレートして、信じられないような非道な事が繰り返されてしまう。悪い事をしたんだと気付かせてやるのも大人や法律、教育の役目だと思うがそれが間違っているというのか。