ブルボン朝で最も在位が長く、またフランス至上、最も有名な王の一人であるルイ14世は、「太陽王」
として有名であり、またベルサイユ宮殿を建築したことでも知られる一方、バレエを愛し王宮舞踊アカデミー
を世界で初めて開講するなど、芸術をこよなく愛し、保護したことでも広く知られている
太陽王ルイ14世父である国王ルイ13世の死により、5歳で王に即位し76歳で死去するまでの71年間
もの長きにわたり、王座に君臨した(在位:1643年ー1715年)。
中央集権と、貴金属の海外流出を防いだ重商主義政権で国力は上がり、絶対君主制を確立するも、晩年は
スペインとの長年にわたる戦争などで、大きな戦費を使い、国は疲弊していった
ルイ14世は妻である王妃マリーテレーズのほか数名の寵姫との間に併せて17人の子供がいたといわれる。
アベ・プレヴォが「マノン・レスコー」(正式なタイトルは「騎士デ・クリューとマノン・レスコーの物語」)を発表
したのは1731年であるから。この小説の舞台となったフランスは、ルイ14世の次の王であるルイ15世
(太陽王の曾孫にあたる)の時代にあたることになる。
バレエ団に提示してあった記事より・・・借用させていただきます。
もう少し頑張ろうかな・・・。
1715年、ルイ15世も、わずか5歳で即位したこともあり、その政治すべては摂政となったオレルアン公
がとりしきった。
オレルアン公は、財政を立て直すため、スコットランド人のジョン・ローを財務総監に任命し、フランス
初となる紙幣の発行や、北アメリカの植民地(ルイジアナ、ミシシッピ)での開発・貿易会社の設立など
を積極的」に行い、王侯貴族から多額の投資を得るが、事業に失敗し多くの貴族が没落してしまう
現在のアメリカ合衆国ルイジアナ州最大の都市ニューオーリーンズNew Orleansはオレルアン公の
名前に由来する
オレルアン公は1723年に死去し、以後ブルボン公が宰相として3年間務め、その後はルイ15世の
養育係であったフルーリー枢機卿が事実上の宰相として王を支えることとなった。フルーリー枢機卿
の治世により、フランスはいったん安定を取り戻す。
当時のイギリス・ロンドンはどうかといえば、1733年ー1734年にかけて発表されたウィリアム・ホガース
の彫版画の「A Rake`s Progress」に描かれているように、やはり同じく貴族中心の社会であったことがわかる。
長文読んで下さってありがたき!
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