そういえば、私が

  • なぜ
  • どうやって

ライターになったのか

…ということを

まだ書いていませんでした。

 

 

 

…なりゆき

です。

 

 

 

おわり。

 

 

 

…ちゃうちゃう。

おわったらあかん。笑

 

 

 

でも、ほんとうに

「なりゆき」なのです。

 

 

 

ローマに住んでいたとき、

コーディネーターの事務所で

働かせていただいていたことを

何度か、書いてきました。

 

 

 

コーディネーターとは、

テレビや雑誌など、マスメディアが

海外で取材するときに

現地で仲介する人

のことです。

 

 

 

 

 

その事務所は

日本のテレビのお仕事を

主に受けていましたが、

日本の雑誌の取材の依頼も

けっこう来ていました。

 

 

 

当時(2000年ごろ)、

日本ではまだまだ

イタリアがブーム

だったようです。

 

 

 

メンズファッションでは

イタリアのサルトリア(仕立て屋)ブーム

が起こって(起こされて?)いたようで、

メンズファッション誌の取材が

多かったです。

 

あと、

女性誌や旅雑誌の

イタリア特集とか。

 

 

 

現地(イタリア)で

取材して、原稿も書ける人

となると、やはり

ネイティブの日本人

ということになるので…

 

雑誌のお仕事は、

私が担当させてもらうことに

なりました。

 

 

 

初めてのお仕事は、

Pen」という雑誌の

「海外からの頼り」みたいな

コラム記事。

 

 

 

6ヶ国ぐらいのコラムが

1ページに並んでいる、

小さな記事を

担当させてもらいました。

 

これは、

退職するまで

ずっと担当させていただいていたと

思います。

 

 

 

ローマの

お店や話題の場所、イベントなどを

たくさん取材させてもらい、

「取材」ということを

実地で学びました。

 

いま考えると、

誰にも教えてもらわず

一から、自分で

よくやったなあ。

 

 

 

楽しかった取材、

しんどかった取材、

いろいろありました。

 

 

 

そして

退職してフリーランスになり、

日本に帰国して

いまに至る

…というわけです。

 

 

 

↑この間に

すごく、いろいろ

あったわけですが…

 

どうやって

ライターになったの?

…といわれると、

こういうことです。

 

…なりゆき、でしょ?

 

 

 

なりゆき

というか、

巡りあわせ

というか。

 

 

 

 

 

…余談ですが、

実家には、いちいち

どの雑誌に私の記事が載った

とは

伝えていなかったのですが…

 

後年、

日本に本帰国したとき

父が、Penの雑誌を

毎号、買って

大事にしまっていた

のを見ました。

 

…泣けた。

 

 

 

というか、

ほかにもっと

大々的な記事が載った雑誌が

たくさんあったのに。

 

お父さん、

そんなに喜ぶなら

知らせたらよかった。

 

 

 

…だけど。

 

私にとって、Penさんは

ライターとしての

初めてのお仕事だから、

特別。

 

 

 

同じように、父にとっても

娘の、初めての記事

というのが

特別だったのかも

しれないね。

 

 

まとめ

 

「なおちゃん、これやる?」

 

「…あ、はい。」

 

何も知らず、何も考えず

そのひと言ではじまった

私のライター人生。