私はアラフィフですが、

私の小さかったころまでの時代は

文章は、主に権威側のツール

だったと思います。

 

 

 

政府や、大企業などが

新聞・雑誌や、ウェブサイトなどで

一方的に、彼らの意向を伝えてくる。

 

 

 

SNSなどなかったので、

一般人が、自分の意見を発表できる場は

雑誌や新聞の読者投稿欄とか

自費出版の書籍などしか

なかったのではないでしょうか。

 

 

 

だから、SNSの登場で

誰でも、意見を述べることが

できるようになったのは

すごいこと

だと思います。

 

 

 

特に、ブログやウェブサイトは

自分から、物事を起こしていける可能性を

秘めているし、

起業のハードルも下げた。

 

 

 

ひと昔前や、

いまでも言論統制のある国の人たちからしたら

夢のような状況かもしれません。

 

 

 

だから、めいっぱい

使えばよいと思う。

 

自分を表現できる場所が、

誰にでも用意されているのだから。

 

 

 

どう使うかは、自由自在。

 

でも、私がもし

例えば中世の、自由に物が言えない時代の人間で

いまのような状況を

渇望していたとしたら…

 

 

 

もし、言論の自由が手に入ったら

自分を表現しよう!

世の中の役に立つことを伝えよう!

…と思うと思う。

 

いい子ちゃんぶるわけではないけれど、

本当にそう思う気がしません?

 

 

 

せっかく手に入った「自由」を、

愚痴や悪口に使おうとは

思わないな。

 

だって、

「表現している内容=自分」と考えたら

あなたのアイデンティティって、そこなの…?

ということになってしまう。

 

そんなわけ、ないやんね。

 

 
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