最近、自分や自分の周りの人に、あまりにもシンクロ(シンクロニシティ)が起こり過ぎるから、改めてシンクロについて考えてみました。








シンクロをズバリ定義するのは難しいんだけど、



「意味のある偶然」


とか、


「偶然の一致」


が正しいと思う。





なぜ定義するのが難しいかというと、「科学的検証が不可能なこと」だから、で、





でも科学的に証明ができないからといって、“たまたま”とは言い切れないぐらいに、

天命に近いぐらいの大きな出来事や出会い、再会のことをシンクロって呼ぶんだと思います。







誰にでもあるよね?






ずっと会ってなくて、数年ぶりに夢に突然出てきた人と、次の日に町でたまたま会って、その再会が人生の転機となるぐらいに発展していったり、



とか、




小さなことだと、何気なく口ずさんだ曲が、隣にいた友達が、


「今、オレも心の中でその曲を歌ってた!!」



とかね♪







世の中のほとんどの物事には因果関係ってのがあって、



その因果関係というものと、どうやっても結びつかなかないようなことがシンクロ。





シンクロは、起こりやすい人とあまり起こらない人がいるのが面白いところ。




起こりやすい人には、驚くほどに連続して起こる。







じゃあ、どういう人に起こりやすいのか?







ここからは「???」ってなる人も多いと思うけど、






地球や宇宙、自然と調和するような秩序を取り戻すような生活をすると、起こりやすくなる。



つまり、便利なモノばかりを追及して生きるのではなく、不要なモノを手放して生きるようになると、起こりやすくなる。







もともと宇宙というのは、ビッグバンが起こるず~っと前には、小さな小さな素粒子だったのに、


それが結合や融合を繰り返してビッグバンが起こり、


それが何10億年も経って、今の便利な世の中に発展し続けている。





つまり、そこには宇宙の“進化”という絶対的な意思がある、ということをボクは信じてる。






人間の・・というか生命のおおもとは宇宙であるから、


人間にも進化、発展の本能が備わっているんだと思うし、




だからこそ、シンクロっていうのは人間が本来もともと持っている“能力”だとボクは思う。





そして、




だからこそ、“利”を追及し続けるのではなく、自然と調和するような=自分に必要なものを選んで、感謝の気持ちを持って生きるようになると、不思議と連続してシンクロが起こるのだと思う。









水族館に行くと、



「誰がデザインしたんだろう?」



って感動してしまうほどに、色鮮やかなグラデーションの色の魚がたくさんいる。




魚にしろ昆虫にしろ動物にしろ、進化の過程で「敵から身を守る」という必然性があって“そう”なっていった、という目的論的な意味もあるけど、




自然界の方が絶対的にシンクロは起こりやすい=進化・発展しやすいからこそ、

そういった“進化”こそ、ボクはシンクロなんじゃないかな?


なんて思うと、ゾクゾクと感動しちゃうよね(^^)








ボクが考えるシンクロに対しての絶対的なルールというのがあって、





それは、シンクロを期待したり、計算したらいけない、っていうこと。





シンクロで起こったことに対しては、もちろん驚いたり感動したりしていいんだけど、「受け取る」だけで、





「こういうことが起こったから、次はこうならないかな?」



とか、



「こうなったから、次はこうなるんだろうな」



とかを考え過ぎてはいけない、ってことがわかってきた♪








ふぅ~~、




自分の頭の中を整理するつもりで書いてたら、話が色んな方向にいっちゃった、、ね(>_<)





そんな難しいこと言わずに、




「全ては神様のユーモアだよ♪」



なんて考え方も、ボクは大好きです(^-^)






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