琵琶湖の眺めと大好きな歌、そして沿道の応援のおかげで、目標としていた走りができました。故郷・滋賀と励ましてくれた歌に感謝です。
2024年3月10日(日)に開かれた「第2回びわ湖マラソン」に出走しました。昨年に続き2度目。気温3度の寒さの中でスタート。雪化粧した比良山からの冷たい北風に悩まされましたが、「ゴールまで歩かず走り続ける」「5時間を切る」という2つの目標に向かって最後まで走りきることができました。自己ベストにはおよびませんでしたが、12回目のフルマラソンで2番目のタイムを出すことができました。以下、長くなりますがレポートします。
①スタートまで
前日は滋賀県大津市の両親宅に宿泊。21時に就寝。4時15分に起床。4時30分から朝ごはん。
6時発。7時前にスタート地点の「皇子山運動公園」に到着しました。
ゼッケンと計測チップは前夜につけていたので、時間的には余裕です。到着してすぐにトイレ。すいていて助かりました。
7時15分に「クリームパン」、7時45分に「バームクーヘン」を食べました。4時半の朝食のあと、何も食べないとスタートの8時20分には空腹になってしまうためです。
7時50分、手荷物を預けます。そうすればトラックでゴール地点まで運んでくれます。寒い。防寒用にアシックスのビニールベスト、その上にレインポンチョをはおります。もう一度トイレ。行列です。8時5分にはスタートブロックに整列しないといけません。ぎりぎり間に合いました。
セレモニー開始。短時間でシンプル。いいです。スタートブロックはタイム申告順にS、A、B、C、Dの5つに分かれています。私はCブロック。いよいよスタートです。
②スタートから10キロ
8時20分に号砲。列はすぐには動きません。ですが、焦る必要はありません。目標はネットタイム(自分がスタートラインを踏んでからゴールするまでのタイム)です。この間にビニールベストとポンチョを脱いで回収袋に入れます。結局、スタートラインを踏むまで7分14秒。さあ、長い旅が始まります。
想定ペースは1キロ6分50秒。最初の1キロはランナー渋滞で7分9秒。次が6分49秒。あせらず想定ペースを意識して走ります。3キロあたりで琵琶湖が見えてきます。
このあたり、昨年6月までの単身赴任暮らしの時によく走っていました。風はほとんどありません。5キロに給水ポイント。暑い時はほぼ毎回とりますが、この日は冬の寒さ。お腹が冷えることを心配して見送りました。
近江大橋が見えてきました。
この付近は瀬古選手もかつて走った「びわ湖毎日マラソン」のコースでした。近江大橋の上り。とにかくリラックス。足も上半身も力を抜くことを意識します。
10キロ通過。1時間7分41秒(1キロ平均6分46秒)。いいペースで入ることができました。
③10キロからハーブ(中間点)
この10キロをいかに楽に走るかが重要なポイントです。ハーフ地点で疲れを感じるようでは、後半、確実に歩いてしまいます。ここで歌が登場。冨田麗香さんの「ヒカリ」(追い風に乗り膨らむときめき風が踊る終わらない旅 ラララ―ラララ ラララ―ラララ)。続いて「1143」(歩きだすことをおそれていた 窓から見える小さな世界)。歌に合わせて自然と無理なく足を前に出します。
13キロあたり、真正面に比叡山が見えます。右手には雪化粧の比良山も。
15キロ地点で右折。湖畔に一度、別れを告げて内陸部を走ります。昨年は30キロをすぎてから内陸部を走る設定でした。景色も単調ですごく長く感じました。今回コース変更してくれました。内陸部を前半にして、ブラスバンドの演奏があったり、白姫餅がふるまわれたり。ランナーを応援してくれました。すごく走りやすく感じました。
この間の10キロ1時間8分18秒(1キロ平均6分50秒)。想定ペース通り。
ハーフ通過:2時間23分30秒。
いい感じです。京都マラソンの時よりも余裕があります。なんかいけそうな感じがしました。ですが、ここでペースを上げると後半失速します。「まだまだ。想定ペースに忠実に」と言い聞かせました。
④ハーフから30キロ
昨年11月の富士山マラソン、今年2月の京都マラソン。いずれもこの間に急速に体が重くなり、歩いてしまいました。「2度あることは3度」なのか「3度目の正直」か。
25キロ地点は烏丸半島を通ります。琵琶湖博物館などの施設があり、ゴール地点にもなっています。私が通過した時にはすでにトップランナーはゴールしていました。改めてすごいと感じます。烏丸半島を通り過ぎて35キロまで北上。折り返して南下。烏丸半島がゴールとなります。
まだまだこれからです。30キロが近づいてきました。
左足の股関節に違和感が。京都マラソンの時と同じです。無理せずペースを1キロ7分に落とします。タレントの森脇健児さんをまねて「股関節が痛い?そんなん気のせいや!」と言い聞かします。
痛みを忘れるために、予定より早く冨田麗香さんの「笑える明日のために」を口ずさみます。ラストの「ラーラララ― ラーラララ― ラララララララ オーオオオー」。いつのまにか痛みが消えました。
30キロ:3時間25分21秒。(1キロ平均6分51秒)。この10キロ1時間9分22秒。1キロ平均6分56秒。想定ペースより少し遅いですが、6分台を維持することができました。
事前のプランは「30キロまでキロ6分50秒で」「あとはひたすら粘る」。最初のプランはクリアできました。さあ、ここからどれだけ粘れるか。ペースが落ちても歩かず走りづづけられるか、です。
⑤30キロから35キロ
この5キロ。比良山からの冷たい向かい風に悩まされました。本では「集団の後ろについて風をまるべく受けないようにしよう」とあります。ですが、そんな都合のいい集団はありませんでした。
救いは35キロ手前で折り返すと追い風に変わること。「折り返しまで、なんとか足を前に出そう」と言い聞かせます。時折、股関節に違和感が出ますが、恐れていた膝が固まる現象はありません。
待望の折り返し。追い風に変わりました。少しだけですが楽になりました。まもなく左折し、SGホールディングスの陸上競技場内に入ります。ゴールが競技場はあっても、コースの途中で競技場を走るのは珍しいです。
ここで「近江牛のローストビーフ」の差し入れがあるのですが、余裕がなく気づきませんでした。小学生のダンスの応援がありました。がんばって笑顔で手を振り「ありがとう」。
35キロ地点:4時間2分5秒
この5キロ36分44秒。1キロ平均7分21秒。落ちました。疲労に加え向かい風の影響です。でも、「よくがんばった。もう歩いていいよ」という「悪魔のささやき」は聞こえてきません。
1キロ7分台で走り続けられば5時間は切れます。「ここまできて歩くなんてもったいないぞ」と言い聞かせます。
⑥35~40キロ
一番しんどいところです。昨年の「びわ湖マラソン」は36キロで歩いてしまい、記録は5時間10分49秒でした。とにかく足を前に出します。「笑える明日のために」「どこまでもつづく」「希望の轍」「栄光の男」。思い浮かぶ歌をとにかく口ずさみます。37キロすぎからは1キロごとに「残り〇キロ」と表示があります。
右手にゴールの烏丸半島が見えます。遠いです。弱気になります。周りも歩いている人が増えました。
「残り4キロ」から「残り3キロ」までの1キロはほんときつかった! 左股関節、左足首、右ひざに痛みが出てきました。今シーズン、長い距離を走る練習が足りないことを痛感します。ボランティアの方が「がんばれ!」あと少し!」「ナイスラン!」と応援してくれます。いよいよ40キロ地点。
4時間38分12秒。この5キロは36分7秒、1キロ平均7分13秒。追い風のおかげでペースは少し上がりました。
⑦40キロ~ゴール
あと2.195キロ。まるまる歩きさえしなければ5時間は切れそうです。安堵しつつ、少しでもいい記録でゴールしたい。そう思って走り続けました。あと500メートルの地点で大きく左に曲がり、上り坂です。
きつい。きついです。
「あーこの世界はどこまでもゆーく」。歌を口ずさみます。上り終えました。あと200メートルは下りです。ゴールが見えました。ちょっとだけペースを上げてゴール!
4時間54分22秒。
1キロ平均6分58秒。なんとか6分台を維持できました。
ゴール後、疲れてへたり込んで5分ほど動けませんでした。すごい満足感がありました。タイムは自己ベストには6分ほど及びませんでしたが、最後まで走ることができました。
立ち上がって完走メダルをもらいます。ボランティアの高校生にかけてもらって、ふと左を見ると、見たことのあるおじさんが「完走おめでとうございます」といって、ランナーにメダルをかけています。
三日月太造・滋賀県知事でした。そういえば号砲を鳴らしたのも知事でした。
ゴールしたのが13時21分。気温は10度に満たない寒さでしたが、太陽が出ていて、それほど寒さは感じません。広場では、近江米のおにぎりと豚汁が無料サービスされていました。豚汁は自衛隊の方々の提供。冷えた体に温かい豚汁は染入りました。本当においしかった! ありがとうございました!
ゴール地点からは最寄りのJR守山駅まで無料シャトルバスが出ています。並ぶこともなく乗車でき、スムースに帰路に着くことができました。
今シーズン3度目のフルマラソン。目標を達成できたのは、琵琶湖の眺め、地元の方々の応援、そして麗香さんをはじめとする大好きな歌のおかげです。
本当にありがとうございました。
来シーズン(今年11月~来年3月)に向けて、夏場しっかり走って、次こそ自己ベストを更新したいと思います。