「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない このやるせない モヤモヤを だれかに告げようか」

 

ザ・フォーク・クールセダーズ(フォークル)の「悲しくてやりきれない」。サトウハチローさん作詞、加藤和彦さん作曲の名曲を聴いていて、歌詞とは対照的に、とても心穏やかな気持ちになりました。

 

2024年1月27日(土)夜の冨田麗香さんの国分寺駅前路上ライブ。厳しい寒さで時折、風も吹く中、熱心なファンや通りがかりの人が、透き通った中にどこか哀愁を帯びた麗香さんの歌声に聴き入りました。

 

麗香さんの歌とは昨年(2023年)春、YouTubeで「出会い」ました。中島みゆきさんの「時代」「ホームにて」、チューリップの「サボテンの花」、薬師丸ひろ子さんの「セーラ服と機関銃」。中高校時代によく聴いた思い出の曲を歌う姿が数多くアップされていました。魅せられました。中でも惹きつけられたのが、高円寺路上でしんみりと歌う「悲しくてやりきれない」映像でした。

以来、いつか路上で直接、麗香さんの「悲しくてやりきれない」を聴きたいと思っていました。その願いがかないました。幸せな夜でした。

 

 

「悲しくてやりきれない」は「イムジン河」を抜きに語れません。

(1968年撮影=左から北山さん、加藤さん、はしださん)

 

京都市生まれのエッセイスト・松山猛さんが中学生の時、たまたま訪問した朝鮮学校でメロディーを耳にして魅かれ、日本語の詞をつけました。その後、松山さんと友人だったフォークルが歌うようになり、何度かテレビやラジオでも流れました。「帰って来たヨッパライ」に続く2曲目のシングルとしてリリースが決定しました。ところが、発売直前にレコード会社が突然中止。その後、テレビやラジオで流れることはありませんでした。

東西冷戦、南北朝鮮対立、70年安保闘争など、社会的な緊張が高まる中、政治的圧力がかかった末の「悲しい出来事」でした。

失意の中、「イムジン河」にかわって出したシングルが「悲しくてやりきれない」でした。

 

私が「イムジン河」を初めて知ったのは大学生の時です。先輩が歌ってくれました。同時に発売中止の経緯も教えてくれました。以来、ずーと聴いてみたいと思っていました。ですが80年代~90年代、テレビ・ラジオで流れることはなく、レコードもなく、youtubeもありません。「幻の歌」でした。

 

それが90年代後半ごろから、少しづつ封印が解かれるようになりました。

若かりしフォークルが「イムジン河」を歌う映像をテレビが流したり(驚き、感動しました)。

2001年の紅白歌合戦で、キムヨンジャさんが歌ったり。

そして松山猛さんのエッセイが原作の映画「パッチギ」(2005年公開)では、「イムジン河」を軸に当時の京都の青春(朝鮮学校生と日本の高校生の対立と友情)が描かれました

今では当たり前のように聴くことができます。



27日、国分寺路上で「悲しくてやりきれない」を聴きながら、悲しい歌詞なのに、歌声も切なく哀愁に満ちているのに、心が暖まり、うれいしい気持ちになりました。

 

好きな歌を、好きな時に聴く(歌う)ことができる。そういう時代に生きている幸せを感じたように思います。

 

素晴らしい路上ライブでした。ありがとうございました。

 

※「イムジン河」発売中止の経緯、「悲しくてやりきれない」の誕生については、よろしければ以下の記事をご参照ください。