「いちご白書をもう一度」。久々にこの歌の世界に浸りました。
昨日(2024年1月14日)のお昼に東京・表参道で開かれた冨田麗香さんのカバーライブ「夜のメロディー」。
(麗香さんのブログより)
大好きなビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」で始まり、松田聖子さんの「瞳はダイヤモンド」。中森明菜さんの「北ウイング」「ミ・アモーレ」と往年の大ヒット曲が続いた後の5曲目。
「ちょっと悲しい気持ちで。はじめてですが歌ってみたいと思います」の言葉のあと
「いつか 君と行った 映画がまたくる 授業を抜け出して二人で出かけた」
驚きました。この歌が生まれた1975年、まだ麗香さんは生まれていません。
遥か遠くなった1970年代。当時、私は10歳。初めて聴いたのは中学生の時でしたが、歌詞の意味がわかったのは、もっと後になってからでした。
(1970年公開。ビデオの表紙)
「雨に破れかけた 街角のポスターに 過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる」
大学に入学した1985年。「いちご白書をもう一度」がヒットしてから10年が過ぎていましたが、まだキャンパスには、破れかけた(政治集会を告知する)ポスターや立て看板がありました。
麗香さんの歌を聴きながら、39年前の春、滋賀県の田舎から上京してきたころの情景が浮かんできました。
「僕は無精ひげと髪を伸ばして 学生集会へも時おり出かけた」
学生運動の時代からは15年の時がたっていましたが、60年代後半の大学闘争を振り返るちょっとしたブームがあり、雑誌で特集が組まれたりしていました。
学部ごとに学生自治会があり、入学してほどなく、授業料値上げに反対する学生集会が開かれたことがありました。私も興味本位で集会に出たりしました。
「就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳したね」
大学生だった1985年から89年の4年間に日本社会は大きく変わりました。バブル経済と空前の円高。大学生でも海外旅行が当たり前になりました。私の周りにも、ブランドものを身に着けた女子学生や、自動車を持つ男子学生がいました。就職はものすごい「売り手市場」で、企業の内定を複数もらう学生がいっぱいいました。
いま振り返ると、「いちご白書をもう一度」の世界がキャンパスから完全に消えてなくなった4年間だったようにも思います。
「君も見るだろうか 『いちご白書』を 二人だけのメモリー どこかでもう一度」
透き通った中にどこか哀愁を帯びた麗香さんの歌声、瞳さんの素敵なピアノと相まって、過ぎ去った「いちご白書」の世界が鮮やかによみがえってきました。素晴らしいライブでした。
翌日、ライブの余韻に浸りつつ、東京駅でうどんを食べていた時、ある重大なことに気づきました。
(東京駅八重洲北口の難波千日前・釜たけうどん)
「いちご白書」という映画まだ見ていない!