ラグビーのW杯が幕を閉じて早くも3週間以上が過ぎました。

 

4度目の優勝を果たした南アフリカの歓喜。

主将の思わぬ退場で涙をのんだニュージーランドの失意

今回こそ優勝と期待されながら準々決勝で惜敗した地元フランスの絶望



そして決勝トーナメントにわずかに届かなかった日本代表の涙。

 

様々なノーサイドがありました。

 

そしていよいよ、日本国内のラグビーシーズンも本番を迎えます。

高校ラグビーの花園

大学ラグビーの秩父宮

そして社会人のリーグワン(旧トップリーグ)

 

今年はどんな「ノーサイド」があるのでしょうか。


冨田麗香さんが月1回、東京・表参道で開いているカバーライブ「夜のメロディー」。

ここで歌ってくれた「ノーサイド」を聴いていると、様々な名場面が目に浮かんできます。

 

 

 

私にとって忘れられないノーサイドは

2020年1月19日、表参道からほど近い秩父宮ラグビー場で行われた一戦です。

 

近鉄ライナーズ 対栗田工業ウォーターガッシュ。

 

日本の強豪チームがしのぎを削る「トップリーグ」ではなく、その二部にあたる「トップ・チャレンジリーグ」の最終戦でした。すでに近鉄ライナーズの優勝が決まっており、悪く言えば「消化試合」でした。にもかかわらず、秩父宮ラグビー場には1万5000人の観衆が詰めかけました。

 

トンプソンルーク選手の引退試合だったからです。

 

ニュージーランド出身で、2004年に来日。

2006年から近鉄ライナーズに所属し、196センチ110キロの巨漢ロック(フォワード)として活躍しました。日本代表にも選ばれ、2015年W杯の南アフリカ戦での奇跡の勝利。19年W杯の日本初のベスト8進出に貢献しました。

密集戦で体を張ってボールを獲得してトライにつなげたり、捨て身のタックルでピンチを救ったり。頼りになる選手でした。

一方で、東大阪市の商店街を自転車で買い物するなど飾らぬ人柄で、地元の方々から親しみをこめて「トモさん」と呼ばれていました。

 

そのトモさんの最後の試合。

ゲームは終始、近鉄が優勢で大差となり、残りワンプレー。またも近鉄がゴールライン目前まで

攻め込みました。ラック(密集)のそばに背番号4のトモさんの姿がありました。


近鉄の選手、1万5000人の大観衆が、トモさんの有終のトライを期待しました。

 

ボールが出ました。トモさんの手に。そのまま突進してトライ!と思った瞬間



トモさんは、後方の味方選手に素早くパスをしたのです。ボールは近鉄の選手にわたりトライ。

 

競技場は大きな拍手に包まれました。ですが、同時に「えーー、なんで」という戸惑い、どよめきが伝わってきました。


トライをした近鉄の選手も苦笑いを浮かべていました。

 

そしてノーサイド。

(厳密には、トライのあと、トモさんのコンバージョン・キックがありました)

 

試合終了後、トモさんは最後のプレーについて「僕は足が遅いから」と笑顔で語りました。

ですが、私はトモさんの最後のプレーに

「ラグビーはチームスポーツ。個人がトライを競うものではない」という信念を見たような気がしました。

 

麗香さんの「ノーサイド」を聴き、久々にこのシーンを思い出しました。心が暖かくなりました。ありがとうございました。