2月に開幕した劇団四季のミュージカル 「ジーザス・クライスト=スーパースター」

 

[エルサレム・バージョン]を、自由劇場にて観劇して来ました。

 

 

 

 

 

昨年の6月に、同じく自由劇場にて、ジーザス・クライスト=スーパースター

 

「ジャポネスク・バージョン」を観劇しています。

 

その時は、余りにも暗くて衝撃的な内容に、どよ~んと気分も重くなり、

 

実は正直面白くないと言いますか、苦手な作品のように感じました。

 

その折のブログのエントリーはこちら → 

 

 

 

ですので、余り期待せずに伺ったのですが、今回はとても面白かったです。

 

演出が変わるとここまで印象が変わるものなのかしら?

 

あるいは、二回目ですので、前回見えなかったものが見えるようになったのかしら?

 

理由は不明ですが、今回はとても面白かったです。

 

 

あくまで演出は好みの問題ですので、人それぞれでしょうが、

 

私的には、エルサレムバージョンの演出の方が多分性に合っているのだと思います。

 

逆に演出の差で、ここまで印象が変わるのかと驚きましたよ。

 

 

 

 

 

チラシにも書かれていますように、本作は、イエス・キリストが十字架に

 

かけられるまでの最後の7日間を描いたミュージカルです。

 

主なスタッフ

 

 

 

 

初演日本版演出は、浅利慶太

 

浅利慶太による演出には、ジャポネスク・バージョンとエルサレム・バージョンの

 

二つがあり、昨年夏に上演されたのは、ジャポネスク・バージョンの方。

 

舞台上を大八車が行きかう中、歌舞伎風メイクを施した俳優たちが、

 

和楽器が加わった音楽に合わせて躍動する独創的な演出にて、世界的にも

 

高く評価を獲得しているとの事。

 

 

一方今回の演出「エルサレム・バージョン」は、↑ちらしにもあるように、

 

傾斜舞台を使い、大胆なまでにあらゆる装飾を削り取ったイスラエルの荒野を

 

再現しているとの事です。

 

 

客席自席から撮影した上演前の舞台

 

 

 

 

余りにも抽象的過ぎて↑のお写真では分かりずらいですが、

 

 

 

 

幕が上がりライトが当たりますと、照明の巧みさもあり、

 

荒涼としたエルサレムの荒野が舞台上に浮かび上がり、一瞬にして、

 

今から2000年前のエルサレムの荒野へと私達を誘ってくれます。

 

 

本日のキャスト

 

 

 

 

開幕早々での観劇でしたので、恐らくは、トップキャストかと思われます。

 

 

 

 

主役のジーザス・クライストは、前回同様 神永東吾さん(↓中央)

 

 

 

ご紹介の舞台写真は、舞台稽古中に上原タカシ氏が撮影したものにて、

 

劇団四季提供のお写真を引用させて頂いております。

 

 

イスカリオテのユダも、前回同様、佐久間仁さん(↓右)

 

 

実は、最初、ユダを前回と同じ役者さんが演じているのが分かりませんでした。

 

何故って、前回は、顔を白塗りにして目の周囲を大きく隈取した歌舞伎風のメイク

 

にて、余りにも分厚いメークに表情もまるで分からず(;^_^A

 

しかも、隈取メイクに加え、衣装のせいもあるのかしら。

 

いかにも悪人ぽい貧相な小男の裏切り物という印象だったんですよ。

 

 

ところが、今回は、すらっとした高身長、長い足にて、最近イケオジと評判の

 

津田健次郎に良く似た風貌にて登場。

 

卑しいユダから、インテリ風の知的なユダに様変わりしていて、

 

結局イエスを裏切らざるを得ない、でも実は誰よりイエスを愛し心配している

 

彼の知性溢れる葛藤が、すんなりと私の胸に入って来ます。

 

あくまで私の勝手な印象です(面食いですみません・笑)

 

 

ラストの辺り、ソウルガールを従えてのロック「スーパースター」も、

 

リズミカルかつ歌詞も面白くて、とても良かったです。

 

 

 

 

そして、圧巻だったのは、ゲッセマネの園での神に問いかけるイエスの独唱シーン

 

 

”どうして私が死ぬのです”から始まり

 

”いいだろう、見てくれ 私の死にざま、見てくれ私の死にざま”

 

私の拙い表現力では上手く伝えられませんが、余りにも凄い肺活量にて、

 

イエスの魂の叫びの歌声のロングトーンの長さと声量のド迫力に、驚愕。

 

魂が揺さぶられると言いますか、もうもう言葉もないほど、感動的でした。

 

 

前回から更に歌唱の技量がアップして、他の誰をもの追随を許さない神永ジーザス。

 

まさに神がかっていて、本当に素晴らしかったです。

 

 

他にも、女性達を侍らせたヘロデ王の歌のシーン

 

ヘロデ王(北澤裕輔)は、神だと言いながら奇跡を起こせないジーザスを

 

嘲笑する歌を歌いながら、ペルシャ絨毯?の上で軽快にダンスを踊ります。

 

 

このシーンは、私だけでなく他の観客達も面白くて良いと思われたのか、

 

客席から思わず拍手が起こっていました。

 

 

そして、イエスが十字架に磔にされるラストシーン

 

どこから見ても本物のイエスにしか見えない、痩せ細った

 

でも腹筋の鍛え抜かれた肉体

 

 

 

 

身じろぎもしない姿にもう亡くなったのかと思いましたが、突然大きく

 

一呼吸をして、最後の言葉を神に向かって呟きます。

 

そして、息を引き取ります。

 

その姿を遠くから祈るように見守るマグラダのマリア達

 

結構長い時間が経ち、漸く徐々に照明が暗くなりはじめました。

 

本来でしたら、哀しみと余韻に浸らなければいけない感動的なラストシーンのはず

 

なのですが、こんなに長時間人は息を止めておけるものなのでしょうか?

 

前の良席でしたので実に良く見えます。

 

ので、早く暗くなってと、心配性の私は、どきどきはらはら。

 

 

でも、神永さん、さすがと申しますか、ずっと息を止めて微動だにせず、

 

真っ暗に舞台がなった時は、なんだかほっとしましたよ(笑)

 

 

前回も感じましたが、ジーザスを演じるのは、肉体的にも精神的にも

 

飛んでもなくハードで厳しいですね。

 

 

カーテンコールは、前回の暗い雰囲気とは違い、今回は大盛り上がり?にて、

 

感動の拍手の嵐とスタンディングオベーションにて、幕を閉じました。

 

 

 

最後に、劇団四季HPより引用した本作のストーリーをご紹介

 

 

”今からおよそ2000年前、ローマ帝国領のパレスチナに一人の青年が現れた。

大工の息子ジーザスは、人々に新しい教えをとき、数々の奇跡を起こしているという。 圧政に苦しんでいた民衆たちは、たちまちジーザスの言葉に耳を傾けるようになり、彼こそ「救い主」「神の子」と讃える。

弟子の一人、イスカリオテのユダにとってジーザスは「神の子」ではなかった。
ジーザスを愛するユダには「全て御心のまま」という師の真意が理解できない。
マグダラのマリアもまたジーザスを愛していた。
彼女は、かげりの無い、純粋で献身的な愛をジーザスに注ぐ。
ジーザスが「ただの人」だと露見したとき、人々はそれを許すはずが無い。 彼らの怒りによってジーザスは押しつぶされてしまうだろう。 そう予感していたユダは、師ジーザスを裏切る決心をする。

「あなたを誰かが追い詰めるなら、私がやる」

弟子たちとの最後の食事でジーザスはこの中に裏切り者がいると指摘する。
動揺する弟子たちをよそに、ジーザスは独りゲッセマネの園で父なる神に問いかける。

「私はあなたの心が知りたい、この目であなたが見たい」

銀貨30枚と引き替えにユダは師の居場所を教え、ついにジーザスは捕らえられた。
支配者たちの間をたらい回しにされ、侮辱・嘲笑されながら抵抗しないジーザス。
いま、あまりにも無力に見える彼の姿に民衆は失望し、叫びつづける。

「彼を殺せ、十字架にかけろ」

ユダ、マリア、シモンやペテロといった弟子たち、ユダヤ教の司教、ローマ帝国総督、そして民衆。
人々の思いが交錯する中、ジーザスは十字架に向かって進んでゆく…。”

 

 

 

アールヌーボー調の自由劇場ロビー

 

 

 

 

 

上演時間

 

休憩なしでノンストップの一時間45分です。

 

 

 

 

グッズ等

 

 

 

 

劇団四季のビールやカレーも発売されているのですね。

 

 

 

 

 

 

それにしても、メインキャスト二人は同じですし、歌も科白も全て同じにも

 

関わらず、演出が違うと、ここまで印象が違う舞台になるんだという事に、

 

とても驚きましたよ。

 

面白かったです。

 

感動的な素晴らしい舞台を有難うございました。

 

 

尚、本作品は、4月20日から6月2日まで京都劇場にて上演、その後は全国公演へと

 

進んで行くようです。

 

 

 

 

 

お読みいただき、有難うございました。