父親や母親又は義父母、それか親の内縁関係にある男女に虐待され殺されてしまう子供が後を絶たない。
最近こんなニュースを見聞きすると胸が押し潰されそうな気持ちになる。
なんとか救ってやることは出来なかったのか。
こんな感情がぐるぐると身体を巡り、事件のニュースを見た日には、その日1日とてつもない不快な思いで過ごす。
私がここまで憤りを感じるのは上記の様な事件のその残酷さと、犯人への裁きの軽さが気になって仕方がないからである。
私が思うに、この手の事件は単なる殺人じゃない。
子供という弱くもあるが、無限の可能性を秘めたかけがえのない存在が「イラつくから」、「うるさいから」などという身勝手な理由から拷問に次ぐ拷問を日常的に受け、挙げ句の果てに殺害されてしまうという拷問殺人だ。
子は衣食住という生きてゆく上では欠かせない物を人質にされ、争う事も出来ず逃げ出す事も出来ず、やがて泣き叫ぶ力も削がれ死んでいく。
他人事ながら考えただけでも怒りで我を忘れてしまいそうなほど理不尽で汚いやり口だ。
こんな残酷な事件に対する処罰が比較的軽い気がしてならない。
これらの事件の裁判による判決の一部では、「適切な対応をしなければ死亡する可能性が高いと認識していたとは言えない」として求刑よりはるかに軽い刑に処されている。
んな訳あるか。
「死ぬとは思わなかった」
んな訳あるか。
「しつけのつもりだった」
んな訳あるか。
おおよそ小学生位にもなればどこまで人を傷付けたらヤバイかなんて大体わかるわ。
何がヤバイって、司法がいまだに責任逃れとしか見て取れない無理がある言い訳を加味して判決を出してること。
試しに自分が子供に与えた状況と同じ暮らしてみろと言いたい。
私は個人的にこんな悲惨な事件を起こした人間には通常の殺人と同じ扱いか、拷問をしたという点を加味してそれ以上の刑罰でも良いのではないかと思っている。
この記事をご覧になってくださった方の中で、万が一ご近所周辺で「まさか、、」と感じたら迷わず通報してほしいと思います。
虐待なんてよく使われている言葉だからって日常茶飯事によく起きる出来事だと思わないでほしい。
これは親子というある種の主従関係の様なもので手脚を雁字搦めに縛りつけて行う拷問だから。
国は行政がもっと踏み込んだ対応ができるように早急に現在の仕組みを見直す必要があると思う。
湯淺直樹