いやーー日本人にはキツいキッツビューエルの2戦が終わってしまった、、
なんて不甲斐無いっす・・・スイマセン、、
シュラドミングは得意コースっす!!
頑張るっす!!!
前回のブログで美的センスの事をとりあげましたが、
そのことを考えていると懐かしい事を色々思い出しました
私の美的センスの無さはここから始まっています
思い出せば中学校の頃、
札幌市立琴似中学校に通っていた私は美的センスは相当なものだった。
あれは忘れもしない13歳の頃・・・・・・・
美術の時間の最初の数分間は毎回自分の手のデッサンから始まった。
みんなデッサン帳に自分の手を必死に模写している。
私は周りとは明らかに次元が違ったのであろう。
誰もが驚く劇的デッサン法を編み出したのだ。
デッサン帳の上に手を置いて、その通り鉛筆で形をなぞる、、。
ピカソもビックリの驚くべきデッサン法が開発された瞬間だった。
その手法は実際の手とわずか数ミリしか誤差がないと言う当時は誰も考え付かな
かった画期的な手法を考案したのである。
その評価は
月の終わりの授業でデッサン帳を一人ずつ先生に見せて
採点してもらうシステムだ。
そのシステムによって、
出席番号が後の方の私に完全に隙が生じ、
木の机に必死にメッセージを彫ると言う紀元前のスタイルを取り入れた
既に中学生離れした作品を手掛け始める。
っが、
後にあっさり見つかりそのペン型の小型ナイフは没収される事となり、
彼の新たなる野望は途絶えた。
さあ、いよいよ私の番、、最初の3ページを見た先生の顔付きがガラリと変わり
ページの最後にわざわざ長方形のハンコの半分だけに紙を敷き、「ハンコ半分」
と言う評価を頂いた。
席に戻り隣の女子のデッサン帳を見せてもらう。
ページ一枚に大体4~5個のハンコが押されていた。
当時の先生には私の手法は認められず、評価は低いものであった。
私は愕然とした。
そのショックから一時芸術の世界の第一線から身を引く事になる。
しかし、意外な所でその芸術魂に再度火がともる事になる。
初恋のKさんの作品が優秀作品として廊下の掲示板に貼られていたのを見つけ、
さすがの私もいてもたってもいられなくなった。
それからと言うもの、毎日腕立て・腹筋・背筋を欠かさずこなし、
近所のきたかぜ公園をアホになった犬のように走り回り、
三角山を駆け上がる強靭な訓練を開始、
今までの鬱憤を晴らすかのように「美」への追求が始まる。
結果、
中学生にして筋肉だらけの私を見た友人達が「ゴリラ」と命名し、
「美」から更に遠くかけ離れる事となる
まあこの辺はまだ笑える。
じゃあ反対に得意の体育の方はどうっだったのか!?
と言うと、体を動かす事が大好きな私はもちろん成績優秀極まりなかった。
冬のスキー学習の時なんて見せ場中の見せ場!!!
意気揚々とゲレンデに立つ私でしたが、
体育の先生に
「お前は片足で滑れ!!リカバリー能力の特訓だ!!」
と言われ、当時リカバリーと言う単語も知らぬ私は
能力が身につくと言う事だけに反応し、
ただひたすら片足で滑り続けた。
だがそれに対し世間の目は厳しかった。
「やだーー湯浅君、スキー片方無くしちゃったのかなァ??」
「えーー!?マジーー!?超ダサくない??」
「上手なんじゃなかったっけーーー??」
「やだあの人キモイーーー!!」
「信じらんない!!!!」
「ウザイ!!」
「ってか超ムカつくぅーー!??」
「マジ MK5 なんだけど!!(←古すぎ?)」
世間の冷たい眼差しが湯浅を襲った。
だが湯浅は負けなかった。
特殊な能力を得るべく、ひたすら頑張った。
がしかし、次の日強烈な筋肉痛で自分の部屋から出る事も出来ず、
能力は確実に低下していた。
ああ・・・・・
なんて懐かしい日々だろう。
楽しかったァー中学生の頃
中学生のみんな!!
今を大事に!!!!!!