第6番プレリュード

5弦チェロで弾くように書かれた組曲だが実は300年もたった現在でもバッハがどんな楽器を想定して書いたのかわかっていない。人によってはチェロのように縦に構える楽器ではなくヴァイオリンのように持って弾く(実際には胸の前に下げる)楽器だったと主張する人もいる。このことは以前も書いたと思う。

 

 

いずれにしてもこのように書かれたような調弦ができる楽器で弾けば弾けるわけだから実際の楽器が何かは、歴史的検証としては興味深いが結局それほど重大な問題ではない。ギターやチェンバロでこの6曲の組曲を弾く人もいるのだからチェロかチェロじゃないかはさほどの問題ではない。

 

しかし5弦の楽器を使うことだけがこの曲の最大の特徴かというとそうではない。

 

曲の書き方が非常に独特で独創的である。

 

このプレリュードは6曲の中ではいちばん大きな規模で書かれているが、それをたった1小節のré-fa-laというニ長調の主和音を開放弦を交えて弾くことから始まる小さな細胞のような単純な音形がどんどん増殖していって4分半にも達する音楽になっていることだ。

 

途中に旋律のようなものが出てくるわけでもなく、2次的なパッセージがあるわけでもなくただひたすらこの音形をもとに音が駆け巡る。ミニマリスム的音楽の先駆けだとも言える。

レーヌ・フラショー先生はこの曲をナイアガラの滝のようだと言った。トルトリエ氏は「海」だと言った。ある人は天馬が空を駆ける如くともいった。そう言った大きなもの、広々とした物の形容が似合う曲である。

 

シンプルだがしかし細部は時に和声的に時にポリフォニックなダイナミックな音楽が随所にあらわれる。例えば冒頭のすぐ後にこんな素晴らしい2声部の音楽が出てくる。

 

 

この音楽をよく理解せず単旋律のように弾く人を時々聞くが残念なことだ。

 

とはいえ第6番のプレリュードは一本多く付け足された高いMiの効果をフルに使った曲なことも確かだ。バッハはこの弦があることで音域が抜群に広がったのがよほど嬉しかったのかこのMiを聴いて欲しいと言わんばかりに10小節にわたってMiが毎小節盛大に反復される。まさにミニマリスムの音楽だ。(譜面上のハタが上向きの8分音符。アルト記号で書かれている)

 

 

バッハはこの第6番以外では最高弦の開放の音から7度上の音Solを最高音にして書いている。ちなみに最低音はどの曲も必ずチェロの最低音のDoが必ずどこかで1度は出てくるようにも書いている。こういうところは使える音は全て使い切る「技」がある。

 

さてところがこの第6番のプレリュードだけに限り最高音がもっと高い音になる。Miの開放弦からみると7度上のRéではなく10度上のSolになる。それもプレリュードの1箇所のみである。

 

 

この楽譜には見えないもう少し前の部分からほぼいちばん低い音域から始まるト長調(Sol)、ニ長調(Ré)、イ長調(La)と開放弦の調を順に登ってゆきついにLaのオスティーナートバスの上に華麗なゼクウェンツパッセージにいたり、最高音のSolまで辿り着く。音もかなり高いのでバッハはここでソプラノ記号を使って書いている。

ここを境に音域がまた少しづつ下がって行き、いちばん低いMiまで下がったあとにまた上り始め高いDo♯から華麗な即興風な速いパッセージになる。(上と下の譜面は続いています)


 

 

この上り下りの急激さはナイヤガラの滝とか海の大きな波の様に、常に動き、さまよい、移ろって行く。バッハの凄さ、天才はこういう所にもある。