僕はモーツァルトの音楽が嫌いだ。

 

と書いたが訂正する。

 

僕はモーツァルトがあまり好きではなくなった。

 

いや、これは不正確でモーツァルトの作品全てが嫌いというわけではない。実は昔は人後に落ちないほどのモーツァルト好きだった。伝記や有名な書簡集などの他に、フランスのChristian Jacqの4巻もある「モーツァルト」と言う小説もとても面白くて貪るように読んだ。この小説はフリーメイソンとモーツァルトの関わりをほぼ史実に沿って書かれたもので、下手な伝記よりよほど面白い。

 

 

まず、僕はモーツァルトにまつわる「神童」神話があまり好きではない。フランス人は特にモーツァルトファンが多くてモーツァルト=神童というセットで話す人が多く(日本より多いと言う意味)、例えば今サッカー界のスターフランスのエンバペは「サッカーのモーツァルト」とか言ったりする。

僕は彼の神童神話の発端は父親レオポルドの異常なまでの売り込みにあったと思う。確かに6歳で作曲したりする子供は少ないが、実はモーツァルト以外にもそう言う子はいないわけではない。ビゼーとかサン=サーンスとかフェリックスと、姉ファニー・メンデルスゾーンとかは確か神童だった。現代でも1万人に一人くらいの割合でそう言う子はいるだろう。

 

それから、ミロシュ・フォルマンの大ヒット映画「アマデウス」の影響は少なくないのではないか。こちらは映画としては本当に素晴らしいのだが、史実としてはフィクションが多くて、サリエリが嫉妬のあまり悪事を働いたような作り話が多くの人を信じ込ませた罪は大きい。この映画は原作は戯曲で題名も「サリエリ」だったそうで、サリエリがモーツァルトに嫉妬して毒殺を企んだ(史実ではない)心理ドラマだったらしい。

 

ベートーヴェンの場合はそう言う逸話は聞かないが、同じくらい秀でていたとは容易に想像がつく。一説では16歳の時にバッハの平均律を全部暗譜で弾けたそうだからすごい。だが父親が、ただ厳格で我が子が自分の教会オルガニストの地位を継いでもらうことにしか(要するに給料にしか)関心がなく、レオポルドのような売り込みをするような商才が幸か不幸かなかった。

バッハはどうだったかというとそう言う神童的な話はあまりないが、その後のバッハはやはり宇宙人並みの凄さだ。

 

嫌いと言いやすい作曲家

昔、ある音楽ジャーナリストの面白い文章を読んだことがある。真面目な論文である。いわく、社交的な場で嫌いと言いやすい作曲家とそうではない作曲家が存在するという説である。
その第1に挙げられていたのがベルリオーズだった。「ベルリオーズはなんだか変な曲が多くて苦手」、『「幻想」は良いけど他は』、「いや僕はベルリオーズは大嫌い」とか言いやすい。
「彼の曲はなんだかエキセントリックで訳がわからない」。「どうしてあんな曲が好きな人がいるんだろう」。とか言っても人にあまりショックを与えない。そもそもそれに反論するほど彼の音楽を知っている人が、不幸にもあまりいない。
 
ベートーヴェンもそう言う人が一定数いるそうだ。
他にもブルックナー、マーラーは最近でこそかなり浸透してきているが50年くらい前は日本でもフランスでも毛嫌いする人が多かった。
 
シベリウスもフランスでは最近まで全く無視されて来た作曲家だった。意味不明の音楽とか言われていたし、「世界で最もひどい交響曲の作曲家」とこき下ろしたアメリカの音楽評論家がいたとか。
 
他にはシェーンベルグ、シュトックハウゼン、ブーレーズなどがこの部類の作曲家のようだ。
 

嫌いと言いにくい作曲家

それではその反対はあるのかというともちろんある。
その第1がモーツァルトで、この論評を書いた人の言によれば、公共の場所やレストランなどでモーツァルトの曲が流れているのを聴くとイライラして嫌なのだけれど、そういいうことを言うのが憚られる空気が周りにあって言い出しにくいと言う人人が結構隠れて存在していると言う話。
この音楽ジャーナリストの名前も文章も今は見つけられない。少しググってみたが見つからなかったがどなたかご存知の方はお知らせください。
 
しかしそう言う嫌いと言いにくい作曲家の中にもベートーヴェンもバッハも入っているのが面白い。
 

中間点

次にちょっと言いにくいけどそれほどでもない作曲家群があって、チャイコフスキー、ボロディン、グリーグ、ラフマニノフあたりがあったと思う。
 
特にチャイコフスキーは絶賛する人とこき下ろす人が混在するが特にインテリ系の(ぶった)人はチャイコフスキーが嫌いという人が多い。
 
「甘ったるい旋律ばかりで、構成もへったくれもない」「安っぽいセンチメンタリズム」などという批判だ。
 
僕は、リタイアしたとはいえまだ専門の音楽家なので、それほど好きではない作曲家の曲でも弾くとなればきちんと練習し、理解できるまでは好きとか嫌いとかを言わないことにしている。
 
今回はモーツァルトに限って話すが告白すると、ブラームス、マーラーもそれほど好きではない。ブラームスは御多分にもれず若い頃からずっと大好きだったが、50歳を超えた頃からふと、突然興味が薄れた。それに反比例するようにドヴォルザークとチャイコフスキーの良さが心に染みるようになってきた。
 
これについてはまた別の機会に。
 

モーツァルト

モーツァルトは高校生の頃まではほぼ全て嫌いだった。と言うか何もわかっていなかったのかもしれない。いつも予測可能な耳障りのいい、ただ上品なだけのお喋りのように聞こえていた。その中には感動もないし、チャイコフスキーやドヴォルザークのようなセンチメンタリズムもないし、ベートーベンのような激しさもない音楽に僕には聞こえていた。そう言うことを言うと大抵物知りな人に嗜められることが多かった。
ただし例外的に、なぜかB dur のDivertimentoは好きだった。有名なD durではなく2曲目に入っているヤツだ。この曲は今聴いてもいい曲だと思う。まだ20歳前の曲だと思うが円熟感がある。

 

 

しかし、この頃の僕はまあ要するにモーツァルトの曲の大半はまだ知らなかっただけなのであまり意味がないけれど。
 
それが芸大の1年生の時だったが、室内楽の授業でハイドンセットの1番のカルテットを練習していた時、ある晩夢を見てモーツァルト風の音楽が一晩中頭のなかで鳴り続けて朝起きたら「全てのモーツァルトの音楽」が好きになったと確信した。ジュピター、レクイエム、弦楽四重奏曲、なんでも手当たり次第に聞いて全て好きだった。ただしオペラはその頃何も知らなかったに等しい。
そうしてモーツァルト好きを決定的にしたのはリヨンに就職して最初に弾いた「フィガロの結婚」だった。その後の「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」をオケの中で弾いて決定的に好きになった。特に「フィガロ」はもしかしたら100回以上本番で弾いたかもしれないが、あらゆる意味で優れたオペラ(実はオペラではなくブッファだが)だと思う。
 
ところが上に書いたような高校生の頃のモーツァルト感が少しづつ心の中に甦ってくるのを感じるようになったのは50代の頃だったのではないか?聴いていいて少し気持ちが落ち着かないというか、はっきりいえばそれ以上聞きたくない苛立つ気持ちが上回ってきた。
 
自分の中の分類ではモーツァルトの作品群は大体3つに分けられると思っている。次のような順序で重要度として存在する。
 
第1は上に書いた3つのいわゆるダ・ポンテ3部作オペラと「魔笛」
第2は 最後の3曲の「交響曲」
第3は 一部の室内楽曲
第4に 後期の「ピアノ協奏曲」
 
オペラの4曲は僕にとっては特別のもので、これは単にモーツァルトの音楽だけの話ではなくなるので別に書く。
 
最後の3つの交響曲は、作曲依頼のないお金にならない曲は一切書かなかったモーツァルトが(まあ職業だから当たり前だが)死ぬ1年前の8月になんの依頼もないのに何を思ったか立て続けに書いた曲で、確かに何か遺書めいた「労作感」があり、別の音楽家になろうとしている感じがある。
 
後期のピアノコンチェルトのほとんどは僕には「フィガロ」と他3曲のオペラの焼き回しに聞こえるが、それでも流石に仕事が上手いという感じがする曲が多い。このウィーン時代のピアノコンチェルトは自作自演、自主公演のビジネスマンとしてのモーツァルトの腕前がよく出ている反面、ちょっとそれが鼻につくのだ。
有名な「ニ短調」の出だしはまるで「夜の女王」だし、25番の序奏は「ドン・ジョヴァンニ」の晩餐の場面の出だしにそっくりだが、その後に出てくるピアノのソロは文字通り「着飾った貴婦人のお喋り」に聞こえることが多い。
 
カルテットの「ハイドンセット」6曲はモーツァルトが「厳格に」カルテットの書法を学んだ名作と言われているが、ハイドンのアイデアの独創性やユーモアやいろんな発明性はあまりに素晴らしく流石のモーツァルトも敵わない。これを学生の頃は全く反対に思っていて、大先輩を敬い献呈したセットは、先輩を楽々と超えてしまったったと思っていた。が、そうではなかった。
モーツアルトには「上品ぶった何か」がこの中にも付き纏っていて、少し苛立つ。まあかなり「飽きた」。
 
最後の「プロシア王セット」3曲はチェロが活躍するせいで弾きたい曲だったが、今となってはそれほどでもない。
他の室内楽曲では弦楽五重奏曲は少し聞き応えがあるかなと思うが、管楽八重奏曲の「グラン・パルティータ」と弦楽三重奏曲の「ディヴェルティメント」は名作だと思う。2曲のピアノ四重奏曲も好きな曲だったが、最近は縮小版ピアノ協奏曲に聞こえてきて時々うんざりする。
 
ヴァイオリン協奏曲は典型的なギャラントスタイル音楽で、パリの社交場的華やかさがあるが、それ以上でもそれ以下でもなく、僕には空虚な音楽でしかない。ただ、この時代にこれを上回るヴァイオリン協奏曲があったかと言ったら、ベートーヴェンのそれを待つしかなく、かろうじてハイドンがあるだけだ。そういう理由でレパートリにされているのだろう。まあ、それにモーツァルトは何よりブランドなのだ。
ヴァイオリン協奏曲はレコードも買ったことがないし、足を運んで聴いたりする機会がなかったが、例外は数年前イザベル・ファウストが東京で弾いた6曲のうちの最初の3曲で、それは名演でびっくりした。奏者が彼女でなければおそらく行かなかっただろうがこのヴァイオリニストの創造性、発明性は特筆に値する。
 
僕が苛立つモーツァルトの曲の特徴とは上の方で述べた、「モーツアルト嫌い」の人と同じで、例えば商業的に上手に仕立てられた見事な完成品を見せられているような感じとかに近い気がする。
旋律も和声進行も非の打ちどころがなくそつがない。構成もきちっと「型」にはまっていて人を脅かしたり、必要以上に感情を昂らせたりしない。どこに出しても一級品、いやそれ以上かもしれない。それに少し苛立つ。飽きる。
 
さて、オペラについてだがこちらは全く別の話になりそうなので次にする。