この解説は今月23日の私のリサイタルのプログラムノートの一部抜粋です。

 

 

 

 

第1番 ト長調

BACHとはドイツ語で小川の意味があるが、プレリュードはまさにその小川が流れ次第にうねり、滝のように流れ落ち、復活祭の教会の鐘の音が鳴り響く村の中を通り過ぎてゆく、そんな光景を思い浮かべて聞くのも楽しいかもしれない。ト長調の響きは安らぎに満ちていて自然への賛歌なのかもしれない。

 

第2番 ニ短調

バッハがこの音楽を作曲していただろうと思われる1720年は妻マリア・バルバラが急死した年でもある。その影響がもしかしてこの曲には大きく影を落としているのかもしれない。プレリュードは厳かでもあり、力強い悲壮感が漂う。通常、器楽音楽に感情的なものを反映させることがない時代だったが、ここにはそう言ったものがどうしても感じられる。第1番の簡素な書き方とは違って、和声進行がきっちりと書かれているので難易度が高い。

 

第3番 ハ長調

ハ長調は王の戴冠や威風堂々とした音楽に似合う調だが、この第3番のプレリュードは荘厳な教会での演奏にふさわしいオルガン的音楽になっている。その雰囲気は曲全体に及んでいて、威厳のあるアルマンドや荘厳なサラバンド、華麗なジーグと続く。その間に親しみやすいブーレが印象深い。

 

第4番 変ホ長調

6曲のうち唯一解放弦の音が主音ではない調で書かれた曲でチェロにとっては難しい。プレリュードは安らかな和声進行がしばらく心地よく続いた後に、突如ド♯の不気味な音で立ち止まった後、即興風の音楽が現れる。次のアルマンドからは曲想は第3番と対照的に暖かく親しみやすい音楽。ブーレはフランス民謡風でもあり、またジーグはアイルランドのジグを彷彿とさせる楽しい音楽である。でも、バッハがアイルランドのジグを知っていただろうかは疑わしいのだが、私にはどうしてもそういう音楽に聞こえてしまう。

 

第5番 ハ短調

この組曲は様々な意味で独特である。まず調弦の仕方が通常と違い一番高いLa(ラ)の弦をSol(ソ)にするように指定があることで、これによって通常の調弦では出せない様々な効果が得られることだ。こういうところがバッハの凄いところで楽器の特性を充分引き出すことに長けているばかりか、調弦を変えることでもその効果を十分に引き出しているのだ。

もう一つの大きな特徴は曲全体が16世紀中頃ルイ14世のもとで活躍したリュリ、またはもう少し後のクープランの作法を取り入れたフランス風音楽になっていることで、他の5曲はイタリア風なのと対比している。特にプレリュードは「フランス風序曲」のスタイルの威厳のあるある意味格式張った音楽だが、オーケストラ曲にはよくあるが独奏楽器のための曲としてはとても珍しい。

 

第6番 ニ長調

この第6番は作曲されてから300年たった現在でもどのような楽器のために作曲されたか未だに決定的な証拠が見つからない曲である。一番有力な説は小型のチェロ説である。実際にアマティ作の5弦チェロは存在するのだが、バッハがその楽器を知っていたかどうかは甚だ疑問だ。

そして実を言えば他の5曲も現在私たちがチェロと呼んでいる楽器のために作曲されたかどうかは常に異論があって、もっと小さめの楽器だったのではないかという説を唱える人は多い。何れにしても調弦はチェロと同じ楽器で、一番上のLaの弦の上にさらにもう一本Miの弦を付けた楽器で演奏するように楽譜に指定されているのでそれに関しては異論を挟む余地は無い。私は今回初めてフィリップ・クイケン氏作製の5弦チェロで演奏する。

第6番は6曲の最後を飾るに相応しい規模の大きい音楽で演奏時間は30分を超える。ニ長調は実は特別の調で、「テ・デウム」(汝、神よ)や「グロリア」などと言った神への礼賛の曲では必ず使われる調で、ある意味そういう時以外は「御法度」な調である。

ちなみに18曲のチェンバロのための組曲の中にニ長調はたった1曲しか無い(パルティータ第4番)しヴァイオリンの無伴奏曲には一曲もないことからも特殊性が感じられる。自然への賛歌で始まった組曲は神への感謝で幕を閉じると思うとこの6曲への興味は尽き果てない。

プレリュードは5本ある開放弦の効果を余すところなく発揮する素晴らしいアイディアが盛りだくさんの音楽で4分を超える大曲である。特徴的なアルマンド、イタリア風のクーラント、情熱的で技巧的なサラバンド、優雅な第1ガヴォットと対比する民衆的なミュゼットと呼ばれるバッグパイプの音楽の第2ガヴォット。最後は狩のホルン(王の狩)の音楽を彷彿とさせる華々しいジーグで幕を閉じる。