「良いものがあれば引っ越します」

と言う人が本当に引っ越しのするのを見た事はありません。

いつまでも、

「こんなのがあったらいいな」って、理想ばかり見てるから。

『幸せの神様は前髪しかない』

と言う話しは有名ですが、

自分にとって幸せって何か、
普段から考えて、自分がどうなりたいか、具体的に考えてる人はすぐに行動します。

前者は良い不動産が目の前に現れても、手が実際に出ない人がほとんど。
(まだ良いのあるかもって)

後者は良い不動産が目の前に現れたら、スクって自然に手が出てる。
(やったこれでやりたいことできるって)

この手が出る瞬間を不動産仲介でお部屋探しを17年も経営してきた身からすると、

幸せって、

「良いのがあるば」って、周りばかりキョロキョロしてる人でなくて、

「自分はこれでこうする」って、自分が自分を主体的に生きてる人の方が、

ほんとにイキイキと生きてる人が多いと不動産管理をしてお客様と接していて思います。

幸せはいつまでも待ってするものでなく、やりたいことをすぐに始めた方が、すぐに叶えられる。

幸せをもったいぶってなかなかやらないと、いつまでもやりたい事を先延ばしにするだけ。

あと、

お部屋探し自体が目的になってる人がいるけど、

きちんと引っ越すことを目的にしてる人の方が、新しい生活、新しい環境で、新しい自分がすぐ始められます。

毎日毎日ポータルサイト見てため息ついたり、物件マニアになるより、

新しい家具何にしよう、とか、今持ってる家具今度はどこに置こう、とか、

そんな事を考える方が楽しいですよね。

「お部屋の良し悪し」なんか幸せに占めるウェイトそんなもんです。

だけど本当に大事なことは、

それでも絶対借りちゃいけない不動産はあるので、

それを見抜くのは素人はわからないから、そこは不動産屋さんに目利きを頼みましょう。

不動産屋さんってその為にいます。

そして良いお部屋探しは良い不動産屋さん探しからするのが良いと思います。

そっと背中を押せる瞬間は不動産冥利に尽きるものです。

それでは
不動産屋さんになる為には学歴があった方がいいとかなんとかのやり取りをTwitterで見たが、

結論からするとどうでもいい。不動産屋さんは経験値がものをいうから、学歴重ねてた分、同じ時間キャリアを重ねてた方の方が沢山稼いでいる。

自分も建築学で大学院修士まで行ったけど、30歳から未経験で不動産屋さんの社長になったけど、やっぱりお若い頃からゴリゴリ仲介や物あげやってる方には及ばない。

だけど学歴を重ねてたら重ねたで、何にも臆することはなく、頭はその分回ると思うから小難しい仕事を新しく作り出せる。

8年ほど前に谷中の木賃アパートを旅館に弊社仲介で用途変更する際に、借主が改修費用を負担することになり、原状回復や贈与税を懸念して、定期借家契約の前払い賃料契約を色々調べて締結したけど、これはのちのちに合法性が認められた。

人は働ける時間がある程度決まっていると思う。

遅く花開いても、早く花開いても、結局は最後まで花開けるか開けないかの違いしかない。

学歴なんかキャリアの邪魔になるけど、学歴は自分自身への自信にもなる。

そんなことを47歳にて、まだまだ会社は完成せず喘ぎながら思っています。

それでは

今日は一軒、

賃貸の店舗物件を引き渡しました。

根津の路面店で古着屋さんになります。

 

 お客様は初めての自分のお店で、

自分の手でお店を作るそうです。

 

 自分でもワクワクしていると言っていたのが印象的でした。

 

 大家さんともご挨拶をさせて頂き、

不動産を通じて人のご縁が作れました。

 

 この仕事をしていて、一番大切にしているのは、

貸してやってる、借りてやってるという人とは

仕事はしたくなく、

 

 やりたい、嬉しい、お願いします、

という気持ちを優先しています。

 

 結局はその方が、

賃貸はいつか終わりがありますが、

ハッピーエンドを迎えられます。

 

 このお店も長く続くと良いなあと思います。

 

それでは。

ネットやメディアから流れてくる訃報の年齢が自分の歳に近づいてきた。


自分はまだまだ新しくやりたい事があるが、頑張ってやり始めたとしても、それを続ける時間は長くなくなってもきた。


人生は長くない。それでも最後までやりたい事をやっていく生き方をしたい。


それでは。

会社経営17年ほどやっているとリタイアした同業経営者も数人いる。

たまたまファンドバブル時に同じような年代の起業が重なって、年に何回かはあったり連絡取りあっていたが、最終的には経営の世界からいなくなった。

自分はたまたま生き残っているが、経営の世界はリタイアしてしまうと何年もやりたいようには出来ないと思う。

今は全く連絡も取り合ってないが、彼らが今の僕を見たらなんと思うかとふと思った。

自分だったらまだ経営の一線でやっていることに羨ましく思うと思った。

だからまだ経営者でいれるうちは、精一杯やりたいことやって働こうと思う。

それでは。

今日は一級建築士学科試験の3回目を受けました。

 

遊休不動産の借り上げ転貸で用途変更をするようになり

小さい規模の建築相談はなかなか受けてくれる建築士がおらず、

 

大学院まで建築学科を卒業したので一機して受けたのが

3年前でした。

 

それから2年続けて資格学校に通いましたが

3回目の今回は会社経営もあるのでそうもいかず、

 

コロナ不況もあり会社を維持しながら

実質ぶっつけ本番で今回は受けました。

 

結果はそのまま跳ね返り、仕方ないと悔しいが混じっていますが、

ひとまず来年も受けたいとは思います。

 

宅建は4回目で合格しましたが、

一級建築士はもっと守備範囲が広いので、

そうもいかないと思いますが、

 

自分の経営したい方向の先には必要なことなので

今回はまさに努力不足だったことを忘れずに

すぐに勉強を再開したいと思います。

 

試験そのものにも慣れて、問題の内容も理解できてきただけに

ちょっと悔しい。

 

それでは。

一棟管理させて頂いている賃貸マンション。
管理受託前まで自主管理を長年やられてた。

賃貸なのにゴミ置き場があって、そこから集積所までのゴミ出しだけは住み込みでいた大家さんの親族がやっていたが、急遽不在になることになった。


建物から出るゴミを止めることは出来ないのでひとまず自分で出し始めてる。
学生の頃に清掃バイトしてたので全然苦痛でない。

仕事であちこちのゴミ置き場を見てるので色々やれることはある。何よりゴミ置き場の綺麗な物件は気持ちがいいし住人意識も上がる。


先日から文京区のゴミ出しパンフレット見たり、シルバー人材センターに問い合わせたりしてるが、今日は雨が降ってるのでついでにゴミ置き場も掃除。綺麗になった。




しばらく自分でゴミ出しやって、マンションのローカルルールを安定させてからゴミ出しを外注するか、それでも大変だったら賃貸なので直接ゴミ出しを住人にお願いするしかない。

とりあえず物件価値向上の為にやってみます。

それでは

今日で47歳になりました。

歳をとると自分の誕生日が楽しみでなく、

またひとつ自分の人生の責任への

残り時間が減ったんだなと思うようになりました。


47までくると自分の人生の本当の折り返し。

今まで生きてきた時間また生きれても

終わる年齢は94になります。


48でも96。49だと98。

50まで生きても折り返せて100。

折り返した後は残りの時間が2倍減ります。


100歳までは

今まで無理してきた事を考えると

そんなに自分の体は持たないと考えてます。

30歳で会社の社長になり、色々な無理、

怠慢、暴飲暴食、自病の喘息、高血圧。


最近は健康も真剣に考えるようになってきましたが、もう遅い部分もあるように思います。

これから少しずつ取り戻せれば。


折り返すまでの自分の人生は

必死に生きてきたので、

過ごしてきた時間の長さは分かります。


もうそれと同じ時間は今後無いんだなと思うと、

ここ最近は諦めたり手放したりすることも

やり始めてきました。


やれる事、できる事、楽しいこと、

嬉しいことに、残りの時間を使いたいと思っています。


小さい街の不動産業は不動産未経験でやるには

本当に大変で、親から継いだ時には管理物件も無く、

本当に自分の居場所を作る事に必死でした。


途中社員が増えましたが、自分の至らなさで

全員手放す経験もしました。

今でもひとりで不動産仲介管理業をしています。


会社を始めた時から人繋がりだけは頑張っていて、

不動産業界でのご縁だけは沢山ある気がします。


この3年コロナは本当に生き地獄のような日々を過ごし、

自宅を売却しようか、経営を辞めようか、自分もいなくなろうかと思ったこともありました。


リーマンショック、東日本大震災と経済パニックは経験してきましたが、


インバウンド、オリンピック特需に踊り、

自分のキャリアもそれなりになり、

不動産の遊休不動産利活用で自分なりの

手法を確立して一息つき、


これで楽に安定した経営ができると安心した

矢先の新型コロナパニック。


いくつか動かそうとしていた案件も直撃をくらい

見込んでいた動きもできず自分の体力を吐き出すばかり。


しまいにはメインの金融機関からも

見切りをつけられました。


そこからは色々な本を読んだり、頼れる先輩経営者に相談したり、本当に頼ったり、お付き合いのある方々から仕事を有り難く頂いたりして、先の見えない中生き残ることだけ続けてきました。


もちろん愛想を尽かされたり、信用を無くしたり、心配を与え離れていった人達もいます。


3年の生き地獄をなんとか過ごし、コロナが終息した今、ようやく案件も動き出し、やりたかった事業が回り始めようとしています。


コロナ関係なくお付き合い続けてくださった方々には公私ともに関係が深まったと思います。


本当にこの3年間、

44,45,46歳はあまり記憶が無く、

3年という月日の分ほどの長さは実感なく、

ただ生き残ったという結果だけです。


これが自分の歳がもう10過ぎていたら、

人生の立て直しすら出来なかったと思います。

40代中盤で味わってよかったと思います。


この3年のリカバリーは同じ期間の3年掛かると感じています。失った安定をまた作るにはそれくらい時間がかかります。

ようやく下り坂から水平という具合になった程度で、

力が増え続ける登り調子はその後です。


その時には自分が50歳になりますので、

そこから働き続けられる時間を考えると

そうそう自分にできることも無くなってきましたし、

大きな事もできなくなってきました。


それも自分の人生の定めだと思い、

残りの時間でどこまでやれるかを考えながら

生きていきたいと思います。


また、47という数字は素数。

素数年齢は人生の中でも貴重な歳で

その年しか味わえない事もあると思います。


そういう意味では、44〜46まで地獄を見た分、

47では幸せがあることを願います。


おつかれ様でした44〜46歳←もうひとまとめ。

ありがとう47歳。よろしくお願いします。



それでは。

御贔屓様の意味って分かりますか?
本当に苦しい時に助けてくれる人。

自分が調子が良い時に周りにいる人じゃない。
逆に自分は御贔屓したいと思えばとことんやる。

だけど贔屓したことを分からない人とはもう付き合っても意味ないなと思う歳にもなったし、本当にいなくなった知り合いが何人かいる。
自分がたまたまそうなっていないだけ。

生きてるだけで有難い。そばにいてくれる人には感謝が大事。

ありがとうでもごめんなさいでもいい。
言える時にきちんと言いたい。

それでは。

業界内でも社内でも団体内でも、

上下関係や繋がりでスムーズにいかない時は、


持ち上げるティーアップや

引き上げるピックアップって必要です。


それをして頂けたり、できる人間でいたい。


それでは。