あまりこのブログの更新頻度も無くなってしまいましたが

 

自分には80才を超えて色々と引っ越しした祖母がいます

ぼくのおばあちゃん

 

最後の更新から10年以上経っていますが

その後一人でマンション暮らしするのは危険だとなり

軽費老人ホームに入ったのが5,6年前。

 

これは自分の世話は自分でできるという場所でしたが

先日とうとう認知が難しい場面が増えてきて

 

同じ施設内ですが介護老人ホームへ引っ越しました。

 

もう年齢は97才になっており

あと3年で100才です。

 

認知以外は頭は回るおばあちゃんで、

年の割には体も動くので、

このまま家族・親族で見守る形になりますね。

 

施設に入れる時にかなりひどい喧嘩をしたので

なかなか顔を出さなかったですが

これからは少し行ってみようとは思います。

 

 

このブログも開始当時は少しでも自分を広めようと

始めたものですが今はSNSが充実しています。

 

会社のHPもコロナを経て少し変えてきていますので

直接リンクを貼りますので宜しければお越しください。

 

弊社HP

 

それでは。

そう言えば、今年で不動産の仕事に就いて20年になる。新卒で入った他業種1年半で辞め、そのあと1年フリーターやって、その後のまた他業種のサラリーマン1年半で辞めて。

すごい飽きっぽくて、長続きしない性格だけど、20年も同じことを続けてきたのは自分でも驚いてる。
あと20年過ぎはやりたいと思ってるけど、そろそろ不動産は本業ですと言っても許されるかな。

ってくらい、不動産の仕事は難しくて、幅も奥も広くて、飽きない仕事だと思う。

まだきちんとした結果は出せてないから、残りの20年で出す所まではいきたい。

それでは。

本日48歳になりました。

 

このブログも30歳から書いているので

もう18年になります。

 

47歳は素数年齢といってその年にしか

出会わない貴重な歳だと言われますが、

 

この1年はまさにその通りでした。

 

家族が体調不良になり会社を休むようになり

とうとう退職、就職探しも一緒に半年ほど行い

めでたくとても良い職場に変わったり、

 

一棟管理をさせて頂いる賃貸マンションの

朝のゴミ出しを始めるようになったり、

またそのマンションの2LDKを

セルフでフルスケルトンまで解体をして

産廃に出したり、

 

去年の2023年はコロナが収束をして

1年目だったので世の中も手探りの中

自分も今できることに精一杯生きた1年でした。

 

そしてまだ公開できませんが

年末年始でとても大きな出来事があり、

今その変化の準備期間として毎日を過ごしています。

 

 

47歳という歳はまだ40代という意識があり

50代への見えない焦りがあった感じでした。

 

そしてその焦り中動き周り、これから向こう20年

25年の自分を作り出すきっかけや出会いにあふれた1年でした。

 

誕生日当日の今日がうれしい、というより

47歳をやり切った昨日は本当に自分に

お疲れさまという気持ちでいっぱいでした。

 

 

今日は一日オフを頂き家族で日光までドライブに。

いつも行っている霧降高原の牧場です。

 

 

この場所は社長になった時からずっと家族で来ている場所。

 

会社経営が苦しくて明日も見えない時も、

何とか乗り越えて明日が見える時も、

つらい時、悲しい時、晴れやかな時、

 

色々な時にこの風景を見てきました。

 

 

今日はなんだろうな。日常の一コマという気持ちで

軽やかに行けました。

 

そんな行動ができるようになった今も

今ある環境や自分の歴史に有難いと思いました。

 

48歳は年男でもありますが、

いよいよ50代へ向けての本格準備という歳になります。

 

何が今後起きるか、準備ができましたら

こちらのブログでも公開していきたいと思います。

 

ブログの頻度も上げたいですが、なかなか手が伸びないですね。

 

でもずっと続けていることなので要所要所では

書いていきたいと思います。

 

ありがとう47歳。よろしくお願いします48歳。

 

 

それでは。

 

50代を目前にしてくると

自分の中で出来ることが増えてくる分、

 

今までやれなかったこと、やりたかったことに

頑張ろうとすることがあるようだ。

 

ただそれらを味合うには人生の旬があるようで、

今から巻き戻してもできないこともあるらしい。

 

こんなことは置き換えると「頑張る」という

日本語になるかもしれないが、

 

人生の折り返しには「楽しむ」をあえてすることが

大事なのかもしれないし、

 

経営の先輩方も口を酸っぱくして

いつも言ってくれていることだ。

 

やはり人生のことは人生の先輩でないと分からない。

経営のことは経営の先輩にしか分からない。

 

そんなことが分かる歳になってきたんだなと

しみじみ思う。

 

元々頑張ってきた人生だから、

頑張るなってちょっと寂しいけどね。

 

それでは。

平成19年の2月3日に会社の宅建業免許が降りたので

今日で18年目に入りました。

 

あと3年ほど経験を積めば20年間続くことになります。

 

今までの17年間は2011年の東日本大震災以降は

常に世の中が安定していない中で、

自分のキャリアを伸ばしてきました。

 

最初の事は普通のというか、賃貸不動産の仲介と管理を

ひたすらコツコツやってきて、

 

ただ同時に不動産情報はありふれたものになっていき、

不動産を探す人のリテラシーも上がったと思います。

 

その中でただ営業として人に尽くすには

それ一本で闘うには武器が弱く、

 

その中で少しずつ元々持っていた建築の知識を活かして

改修やリノベーションが増えていき、

今では空き家活用をきちんとしているという

実績もできました。

 

経営とはほかとの差別化との競争ですが

今ではきちんと弊社しかできないものがあります。

 

あとはもっと経営として安定した会社の器が

欲しいというところです。

 

「丸17年経営やってきました」って

最近は自信をもっていうことも増え、

今後もさらに実績とキャリアを詰めれば

不動産の仕事はやりがいも付くと思います。

 

そして今年はまだ公開できませんが

大きな会社の動きもあるので、

気を抜かずですが事業に邁進をしたいと思います。

 

今後とも引き続きよろしくお願い致します。

 

 

それでは

歳をとって思うのは働く経営者や

人の上に立つ人が後輩や後世を

育てたり引っ張ったりしてないなと。


自分の上の世代は団塊の世代で、

自分たちで自分たちの財産を作り

自分たちで財産を使いきろうとしている。


財産とはお金的なことの他に

知識や経験や知見や体験も含まれる。


これらは本当は自分たちで生み出して、

後ろに続く人たちで育てるような繋がりが、

社会にはあるべきなのかなと思う。


自分もあと数年で50代に入るので、

そんなことができる大人になりたい。


それでは。

良いものを表現するのに、

「あそこのあれ」っていうのは、

あんまりつまらないと思うようになった。

 

できれば「自分のこれ」って言えるものが

はたから見て良いなって思う。

 

他人の真似は否定はしないけど、

それはやっぱりいつかは底をつく。

 

で、そこがつきそうになると、

また次の真似を探し始める。

 

そうなるとオリジナリティや個性が

最初はあってもいつかは無くなります。

 

そうならない為にも、自分の中から

生み出せるようになるのはとても大事で

大人になるとそういった人と

お付き合いしていた方がとても生きがいを感じます。

 

今日からブログのタイトルを少し変えました。

 

心の本音を言える場所なのは、このブログを

始めた時から変わってないですが、

ここにしか書かないこともあります。

 

それを他のSNSにコピーすることはありますが、

それを書き始めたのはこのブログであるのは

大事にします。

 

それでは。

2023年を振り返った。とにかくコロナが落ち着き世の中が動き始めて良かった。今思うと年明けはThingsもしろいおみせも一つずつしか入ってなかったんだな。本当に今思うとジリ貧だった。それからそれぞれ埋まりだして。

あと新大塚のフロアリノベも今年だった。一年ずっと頑張っていたからもうかなり昔みたいな感覚。

それと今年は本当に日本のあちこちに行った。

溝口、福岡、大阪、福井、京都、下関、焼津、兵庫、函館。

千駄木という場所で街の不動産屋さんをやって、本当にこんなにあちこちに行くことになるなんて。
今月内12月は新幹線や飛行機や車で、本当に人生で一番移動距離が長かったと思う。

それに併せて新しい出会いも本当に増えた。会う方会う方、良い人ばかり。

少し書いたが来年から始まる事の為に、本当に良いご縁を頂きました。

そしてそして、今年の一番動きは、そこそこ大きいリノベーションも、解体から自社である程度できるようになったことでしょうか。

小さな解体、大工けら始まり、一つの大きなフルスケルトンとフルリノベーションまで経験しました。

これが何よりもなかなかできない事だと思います。

来年の抱負はまだ言えないこともあり、来年4月前後になりますが、準備ができましたらお知らせします。

とても大変な2023年でしたが、新しい2024年へ自分で思っても予想外の楽しい、嬉しい年末になりました。

来年も引き続き宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えください。

その時一瞬の出会いが

その後の一生を支える時がある。


むしろそればかりだと

歳を取って思う。


お金持ちより人持ちになりなさい


千駄木で誰も知り合いがいなく

不動産のふの字も知らず

親の事業を継いで、


なぜか千駄木で易をやっているという方から

学んだ言葉です。


なので会社経営をして17年間

何か呼ばれればどこへも行き、


自分が必要と思えばどこまでも

行きました。


人のご縁はお金では買えない。

時間をかけて繋げるもの。


時間もお金では買えない。

そして勝手に落ちていく砂時計と一緒。


だから、人に必要とされていれば会い、

自分が頼みたいことも会いにいく。


それが人付き合いだと思ってます。


たった一瞬の出会いがそうやって

一生の財産になることを僕はやってきた。


だから目の前の一瞬、

そして今までの出会いの一つ一つを

忘れないように大切にできる人が


とても良いなって思います。


それでは。


今思うのは今生きる人たちが少しでも、未来へ自分を使うようになると良いのに、今目の前のことしか考えないのを経済合理と言うのかなと。

それって意味あるんですか?って良く言われるけど、自分は今の自分の為でなく、未来の他人の為に生きたいと思っている。

それは自分は在日韓国人として生まれ、自分が生まれた国に自分の籍が無かったのと、知的障害者の弟をお兄ちゃんだからとずっと手を取り見守ってきた自分の名前も育ち方も不自然だったから。

今では国に籍というものを日本という国に置き、弟も今は施設のお世話になっているが

今この歳になるまで無事生きていること自体が必死だったし、自分の人生を自分で作るしか生きる方法がなかった。

だから今を味わったり、楽しんだりすることが苦手で、ずっと他人にこと、未来のことを大事にしてきた。

それは今はとても良かったし、そんな人生は僕しかないと、この歳になってようやく味わえるようになったけど、

次はやっぱり未来の子供や、その子供が大きくなった未来の為に生きたい。

なんでここまで言えるかというと、なんだかんだで、名前が変えたり、生きる場所を変えたり、やっていることを変えたりしても、自分は何も変わんなかった。

今まで47年間、ぶつ切りの生き方をしてきたけど、結局は切ることができなくて、切っても切れないんだなって、47年かけて分かったから。

だから来年年男だけど、少しずつ自分のことは伝えようと思ってきた。

見られ方が変わる人がいたり、いなかったり、それはそれでなんか人の本性が見れて楽しかったりします。

来年からまた新しいことを始めるので、色々頭が過敏になってますが、その続きでこんな事を書いている。

だから、今も大事だけど、未来への種を植え、育てる世の中になればいいと思います。。

それでは。