最近、ある会議で、「もう一度、管理する側に返り咲きたい」という思いが、発言の端々から伝わってくる場面があった。
返り咲きたい思い満載。
もちろん、もう一度その立場で力を発揮したいと思うこと自体は悪いことではない。 経験を生かしたい、組織をよくしたいという思いであれば、それは一つの原動力にもなる。
ただ、その思いが強くなりすぎると、現在の管理職への批判が増え、自分の考えこそが正しいという発言になっていくことがある。
しかも、感情が先に立つと、事実と推測の境界も曖昧になってくる。
私は、そういう場面ではあまり感情で対抗しない。
「その発言内容は、確かな情報なのか」 「事実として確認されていることなのか」 「その言い方は、公の会議の場では控えた方がよいのではないか」
そう淡々と確認する。
感情的な主張に賛同するつもりはないし、こちらまで感情的になる必要もない。
ただ最近、もう一つ思うことがある。
あえて、しゃべってもらうことも必要なのではないか、と。
人は話せば話すほど、その人が何を根拠に考えているのかが見えてくる。 事実に基づく意見なのか、推測なのか、個人的な感情なのか。 そして、ときには、発言を重ねることによって、その表現がハラスメントに抵触しかねないものであることまで、自ら明らかにしてしまうこともある。
会議の場であれば、そこには複数の人がいる。
誰か一人が「そう言った」と主張するのではなく、その場にいた人たちが、その発言を実際に聞いている。
そう考えると、何でもその場で封じ込めることが最善とは限らない。 必要なところでは事実確認をし、不適切な表現には冷静に線を引く。 そのうえで、発言そのものは聞く。
周囲は、意外とよく見ている。
そしてもう一つ。
自己評価が高いことは、決して悪いことではない。 けれど、自分に対する評価と周囲からの評価が大きくずれていることに気づけなくなったら、少し危険なのだと思う。
周囲が黙っているから、自分が支持されているとは限らない。 反論されないから、自分が正しいとも限らない。
むしろ、周囲が引いて、何も言わなくなっていることだってある。
管理する立場を経験した人ほど、自分がどう見えているのかを、ときどき確認する必要があるのではないだろうか。
「自分ならもっとできる」 「自分の方が正しい」 「周囲も自分を評価しているはずだ」
そんな思いが強くなったときこそ要注意。
裸の王様になってはいけない。
これは誰か一人に向けた言葉ではなく、管理する立場にいる人、そして過去にその立場を経験した人も含めて、忘れてはいけないことなのだと思う。
もちろん、私自身も。
人の姿を見て、自分を振り返る。
会議という場所では、議題そのもの以上に、そんなことを学ぶことがある。