文章全体ではなく、 自分にとって都合のよい部分だけを拾い上げる人に。
書かれていることをそのまま受け取るのではない。
文脈を読むのでもない。
自分にとって都合のよい部分を切り取り、 都合の悪い部分には触れず、 最後には、自分にとって都合のよい意味へと組み替えていく。
それは「解釈」というより、 「再編集」に近い。
文章や発言は、 前後の流れや背景を含めて意味を持つ。
けれど、一部分だけを切り取れば、 本来の意図とは違う意味を持たせることもできる。
問題提起は別の話になり、 確認事項は確認されたことになり、 本質はいつの間にか姿を消していく。
そして不思議なことに、 その再編集された物語は、 本人の中ではいつしか「事実」になる。
だから話は噛み合わない。
同じ言葉を見ているはずなのに、 見えている景色が違う。
同じメールを読んでいるはずなのに、 受け取っている内容が違う。
こちらが伝えたかったことは、 最初から存在しなかったかのように扱われる。
私は心の中で、こう呼んでいる。
「切り取り解釈おばけ」。
どこの職場にも、 どこの組織にも、 案外ひっそりと住みついている。
以前の私は、 どう説明すれば理解してもらえるのかを考え続けていた。
でも最近は、 相手を変えようとは思わない。
言葉は淡々と。
記録は残す。
必要なことを、 必要なだけ伝える。
そして、 必要以上に追いかけない。
切り取り解釈おばけと議論をしても、 消耗するのはたいていこちら側だからだ。
限られた時間とエネルギーは、 本質を見ようとする人、 文脈を読もうとする人、 誠実に対話しようとする人のために使いたい。
揉めない。
戦わない。
ただ、 巻き込まれない。
それだけで十分なのだと思う。