なおちゃんです爆  笑

いつも読んでいただき、ありがとうございますウインク

 

 

さてさて、これにも書いたんだけど、数日凹んでじぶんが苦しかった理由

 

「カウンセラーのくせに」

 

このことばに、ここ数日、ず~っと向き合ってきました。

 

「なんで、言われて辛かっただろう?悲しかったんだろう?」って。

 

 

わたしが母からかけて欲しかったことばは、

 

「もっとゆっくりすればいいじゃない」

 

だったのね。

 

寝れないんだったら、もう少し楽にしてじぶんを取り戻したら?って。

 

でもね、

 

そのことばをじぶんにかけてあげずに、

 

「うわぁ~。どうしよう、どうしよう。」って焦ってばかりいたのは、

 

何を隠そう、このだったんだポーン

 

って気づいたんだよね。

 

 

心理学の世界では、よく「鏡の法則」ということばが出てきます。

 

じぶんのまわりのひとの言動は、じぶんを映し出してくれる「鏡」なのだと。

 

だけど、最初は、そのことばを聞いても、特にじぶんを否定してるひとにとっては、

 

「え~っ。わたしだったら、あんな言い方しないもん。違うもんえーん

 

という、抵抗感しか出てきません。

 

だけど、それでも、泣きながら、怖がりながらも

 

ゆっくりゆっくりと、

 

まるで、たまねぎの皮をむいていくかのように

 

一枚一枚はいでいくと

 

じぶんが人から言われて傷ついたことばの裏側に

 

じぶんへの「優しさ」が隠れていたびっくり!

 

ってことも、けっこうあります照れ

 

そうなると、残念ながら、母もわたしも、

 

おたがいがおたがいの「憎まれ役」を演じているところがあるのかもしれません。

 

でも、そこから気づいていくこともたくさんある。

 

だからこそ、「人生で起こることにはすべて意味がある」「間違いはない」んだと思います。

 

 

ちなみに、ここ数日、悩んだときに観ていた韓国ドラマがこれ↓

 

 

 

これ、めっちゃおススメですデレデレ

 

内容としては、ある理由から多重人格になってしまった御曹司と、

 

新米の精神科医とのあいだに起こるラブストーリーです照れ

 

主人公は男性なんだけど、多重人格だから、その中には「女性」のキャラクターも

 

いたりして、その一つ一つのキャラクターがとても魅力的で

 

見てて飽きなかった~ラブ

 

しかも、「どうしてそのキャラクターなのか」というところも意味があって、回を追うごとに

 

しだいに明らかになっていく展開になっています照れ

 

 

先に結末を言ってしまうと、最終的には、主人公がじぶんと「向き合う」ことで

 

じぶんの「傷」を肩代わりしてもらっていた、それぞれの人格を

 

じぶんのなかに「戻していく」ことになります。

 

専門用語では、それを「統合」というらしいです。

 

見てる側としては、愛らしいキャラクターが消えていくのは、「せつない」んですが

 

消えていくときに、それぞれのキャラクターが、主人公に向けて

 

「送ることば」をかけていくところも、見どころのひとつです照れ

 

わたしはそれを観ながら、

 

「じぶんがじぶんに、本当にかけてあげたいことばは何?」

 

と、じぶんに問いかけていくこと・聴いてあげることが大事なんだと感じました照れ

 

 

ひとはどうしても、じぶんと他人を比較してしまう。

 

それで何か学びになれば、それでもいい。

 

だけど、それがじぶんを苦しめる理由になるなら、それはきっと、

 

本当の「本音ではない」んだと思います照れ

 

回りに揺り動かされているだけ。

 

じゃあ、どうしたらいいのか?

 

 

それは、「あなたの本音は、何?好きに言っていいよ。言ってごらん。」

 

と、じぶんに「聴いてみる」、これにつきると思います照れ

 

ただただ聴く、見つめる。

 

その過程のなかで、逃げたくなったら、泣きたくなったら

 

そのままに「しておく」。

 

見つめる作業のなかでは苦しくなるときもあるので、それは、

 

そのひとが「望む」ペースでいい、とわたしは思います照れ

 

 

昨年、じぶんが今まで「無理をした生き方をしてきた」ことに気づき、

 

「自分らしく生きるって、なぁ~に?」と、じぶんに向き合ってきました。

 

そのおかげもあってか、今は「0(ゼロ)」、

 

たまねぎの皮をむいて、スッポンポンの素っ裸になれた爆  笑

 

と思っていたのですが、

 

やっぱりそこは面白いもので、

 

35年ものあいだ、「化けの皮」をかぶって生きてきたわたしは、

 

むいてもむいても、「皮が残っている」

 

ひょっとしたら、ロシアの民芸品「マトリョーシカ」のように

 

むいた先には、めっちゃ小さい「わたし」が泣いてるかもしれない笑い泣き

 

だけど、それでも、あきらめずに、気長に

 

じぶんと「付き合っていく・相思相愛になる」ことが

 

今のわたしには必要なんだと思います照れ

 

 

ぶっちゃけ、「じぶんをカウンセリングする」ことのほうが、面白いかもてへぺろ

 

とさえ、最近思ってきています照れ

 

 

いま、「傷病手当」というものをいただいて生活をしているのですが、

 

これを貰えるのは期限付きなので、それで「早くカウンセラーを軌道に乗せないと真顔

 

と、またまた、じぶんのお尻を叩いてたみたいです滝汗

 

これね、これが初めてじゃなくて、今まで何度もそのタイミングがあって、

 

じぶんが焦る方向に向かうと、その都度、こころが

 

「ちょっと、そこの君」と、待った!をかけてくれて、「引き戻される」のよ滝汗

 

今までは、「なんて不器用なんだろう、なんて面倒くさいんだ、じぶんムキー

 

と思って、じぶんを責めてたんだけど

 

これは間違いなく、こころとからだからの「SOS」なんだ

 

じぶんを責めなくていいんだ

 

って、少しずつ気づけるようになってきました照れ

 

それでも、嘆いたり、じぶんを卑下したりするときもあるけど

 

やっぱり、最後の最後までじぶんの「味方でいてくれる」のは、じぶんキラキラ

 

だとしたら、「優しいことばをかけてあげたい照れ

 

そんなふうに思いました照れ

 

 

読んでいるひとは、「こいつ、どうしたいんだ滝汗」と思うかな?

 

でも、決めたことを、「やっぱ、や~めた」とやめることも

 

ときには必要なんじゃないかと思います照れ

 

じぶんが休みたがっているなら、なおさらです照れ

 

つうか、今は「遊びたい」気持ちのほうがぶっちゃけ強いですウインク

 

さてさて、この先どうなるのか、わたしにも分かりませんが

 

毎日、少しずつ少しずつ

 

じぶんと「向き合っていく」、その先に「答えがある」

 

今はそう信じて、一日一日を過ごしていきたいと思います照れ

 

以上、なおちゃんでした爆  笑

最後までお読みいただきありがとうございましたデレデレ