こんばんは~。Chibinaoです。
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「だれにでもできる仕事」。わたしは今までこれが嫌でした。
イメージというか、自分の固定観念の中で、
「だれにでもできる仕事をしても、成長しないし、つまらない」と思っていました。
では、そもそも、「だれにでもできる仕事」って何でしょう?
工場での流れ作業?印刷物の管理?お茶出し?
だけど、どの仕事にも、その仕事を「だれ」がやるかで「やり方・取り組み方」は変わってきますよね。
速さを優先する人、順番を優先する人、できるだけ手間を省いて合理的にやる人。
仕事を「だれか」に教える場合もさまざまです。
分かりやすく仕事を説明する人、要点だけかいつまんで説明する人。
それから、一見「これは仕事と言えるのか分からない」ということでも、よく考えたられっきとした「仕事」だった、ってこともあります。
例えば、緊急の仕事が来て、担当の人が焦っているときにそばで「落ち着いてやれば大丈夫」と見守るのも、「仕事」。
この書類の処理はどっちが正しいんだろう?ってオロオロしている人に、「こっちです!」って「断言してあげる」のも「仕事」です。
何が言いたいかと言うと、「やり方は1つじゃない。どのやり方もその人が選んでベストだと思っているからやっているわけで間違いではない。ただ、なんとなく不便さを感じたら、そのとき立ち止まってまわりを見渡してみればいい。」ということが言いたかったんです。
それから、一見「まわりはできる人ばかり。私がいる意味があるんだろうか。」と考える人もいるかと思いますが、かならず「いる意味はあります」!
私も「この会社にいる意味なんてない!」って思ってました!
「できる人いっぱいいるし、私がここにいなくても変わりはいる!」って。
だけど、その会社にいて息を吸っている以上、その空間に間違いなく「存在」するわけで、組織に所属する以上なんらかの「仕事」が発生します。
その中でも「好きな仕事」、「嫌な仕事」、「できるけど、できれば避けたい仕事(笑)」などありますよね。
で、その仕事の向き合い方は人それぞれで、エネルギーの向け方も人それぞれ。
なんだけど、自分が意識していないあいだに「あなたがいてくれてよかった!」ってことが発生するときがあるんですよ。
それは一見すると、「ささいな」ことかもしれません。
わたしだけその人の電話番号を知ってた、とか、クレームの電話を代わってあげた、とか。
それは、褒められるために「用意」する必要はなくて、そこで生活していれば誰にでも起こりうること。
あとは、冷静に「何をする必要があるか」見つめること、考えること。
それから「仕事」の種類を明確にして、「わたしがいたからできたんだ。わたしやるじゃん!」と認めて自分を褒めること。
あなたがなにげなくやっているその「仕事・役割」。それはもしかしたら、「あなただからこそ」できることかもしれませんよ。
今日はそんなことをふと思って、書いてみました。
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