日曜の夜に、妹が1月生まれの夫と2月生まれの私のお誕生日会を実家で開いてくれました
毎回恒例のスシローの持ち帰り寿司のパーティーです
両親が孫たち(息子と娘)に会うのをすごく楽しみにしてくれているのがわかります^ ^
そして息子と娘も嫌がらずに一緒に実家へ行ってくれるからありがたいです
ベッタリでもなく、突き離すでもなく、いつも優しくジジババと接してくれています。
母は軽い認知症?ぼけぼけしてきているけど、そのぶん母を苦しめていた思考が止まっているような感じで、明るく朗らかになっています。
母はデイサービスに週2回かよっているのですが、そこでの出来事を楽しそうに私に話してくれます
会話は、やや支離滅裂で、言葉を拾って「こういうこと?」って確認しながら聴いています。
まぁだいたいわかります。
子供たちのこと「自由にさせてあげたら良いよ」と言ってくれます。
昔の母では考えられないこの発言に心が嬉しくて震えました。
母は、ずっと世の中が怖くて必死でなんでもコントロールしょうとしているような人だったから
私が子供のころは、髪型、服装、友人、発言、など母基準のルールがあり、母の思うようにしないとヒステリックに怒られていました。
ルールは母のなかにあるので、母が気に入らない人との交流はタブーなのですが、昨日までは良しだったのに今日からはダメとか、、、。
わからないことだらけでした。
子供のころから、母の機嫌を取ろうとする自分と、反抗心いっぱいの自分がいました。
父と違って、殴る蹴るの暴力はありませんでしたが、ルールを破ると「これからは親の言う事を聞きます」などの文章を腕や足に大きく油性ペンで書かれて学校へ行かせられたりして辛かったです。
私の事だけでなく、
父の浮気や暴力、詐欺にあったり、母はコントロール不能のような状態でした
母は、私が小学生の頃からおかしくなりはじめました。
(うーん?もしかしたら、もっと早い時期からだったのかも?)
母のこうして欲しい、こうなって欲しいが、ことごとく叶わない辛い世界で心の限界を迎えたのかもしれません。。。
だんだんとひどくなって、私が小5ぐらいには、盗聴、見張られているとか、毒を盛られているとか、恐怖が強くなり、希死念慮、消えたい願望がでてきていました。
私も辛すぎて記憶が途切れ途切れ、白紙になっているところが多いです。
父親が執拗に殴る蹴るで、私は床に頭を抱えて丸くなっていた時に
母が覆い被さってかばってくれた記憶があるんです。
「母は私を愛してくれている」
とても嬉しかった
私も父も母も愛し愛されたいだけなのに、上手くいかなかった。
両親が育ってきた環境や、時代。
自分の思い考えを上手く表現できなくて、掛け違い、だんだんズレていったのかも?と思ったりします。
でも最近は家族それぞれが、根底にある愛にも目を向けることが出来て来ているような気がします
「自由にさせてあげたら良いよ」
母からのステキな発言にそう感じたのでした
母は2、3年前ぐらいまで、絵手紙を習いに行っていました。こちらはその頃の作品です
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