ブロ友さんが苦しんでいて、改めて考えてみました。


長年、自分の食べているもののカロリーはもちろん、旦那さん、人の食べるものまで気にしたり、
毎食何を食べよう?何なら満足して(でも過食のスイッチは入らない)食べられるかな?
太るかな?食のタイミングは?あげだしたらきりがない位、いろんなことを考えていましたショボーン


こうしたら、解放された、楽になった、っていう特効薬はなくて
仕事を始めたら、仕事中は忘れられるけど、仕事の後や休日に爆発したり・・・
子供や友達と遊んでいても、食べることが頭の片隅にあって、100%目の前の出来事を楽しめないことがつらかった真顔
2人目を授かったとき、1人目は摂食思考のせいでせっかくの可愛いこっちゃんの乳児期を思う存分楽しめなかった後悔があったから、次こそ!!と意気込んでいたな。

でもやっぱり割合は少なくても囚われていた気がする真顔

 

東京に来て、子供はいるけど、ずっと家にいる期間があったときも
食にとらわれないか?過食スイッチは入らないか?不安だったもやもやガーン魂

何度も何度も食べ過ぎたー。怖い。を繰り返して
旦那さんやブロ友さん、友達(摂食のない人に敢えて話を聞いてもらったり)
いろんな人が「食べ過ぎた」に「大丈夫だよ」をくれて
吐くことを留まることができた気づき(物理的に子供がいて、過食嘔吐するタイミングもなかったのも良かったのかも笑い

その吐かない「食べ過ぎ」の回数が増えるたびに、
「吐くより消化を待つほうがずっとずっとからだが楽」
「過食しても、消化をまてば、驚くほど体重は増えない」
「仮に数キロ増えても、誰も(周りのママ友も旦那さんも)気づいてない」

何より、自分自身の心地よさ(心と体)が全然違うことを経験で積み重ねているうちに
すこしずつ、(吐くほうの)過食スイッチが入らないっていう自分の中の自信ができてきたキラキラ

後は、

時々、息抜き?的に、あのアドレナリンぶわーって出る感覚を味わいたい!!みたいな
ことがあったなもやもや

その時、吐く勢いで食べることは怖かったから、
満足はするけど、ギリギリ動けるラインを攻めて食べてた笑い

(パン屋のパン3.4個食べて、家にあるお菓子食べつくす、位?3000-5000カロリ―くらいかな)
多分吐く前提だと、もっと食べれるけど、心身ともに私はそれくらいが限界だった気がする炎

これはハード面(食欲との向き合い)の話だけど、同時にソフト面(周りとの人間関係から得た安心感)が満たされてきたから、多分あの不安を吹き飛ばすようなアドレナリンを必要としなくなってきたのかも拍手



 



自分のもやもやを過食嘔吐で発散してきて、多分それに助けられてきたけど、
今も過食嘔吐に感謝、とは思えない。
でも過食嘔吐があったから、自分の人生への安心感を得られたのかも。とは思ってます。(そこは感謝なのかな。歯や健康、お金、時間は失ったけど)

・・・悩みがなくなるわけじゃないけど、
バランスをとって、「こんなものかな」位を維持して
ぬるい幸せを維持できるだろうという安心感ですグラサンハート

 

何の話?笑

 

 

読んでいただいてありがとうございます。