2022920日に高田崇史「カンナ 天草の神兵」を読了しました照れ


天草の乱が、実は元支配者側の残党が絡んだ反乱だったことは聞いたことがありますし、天草四郎は豊臣秀頼の遺児であるという説もきいたことがあります。

だからこそ、加担者は皆殺しでなくてはならないし、原城は徹底的に破壊する必要があったとも。

既に死骸となった加担者を放り込んだ穴に、更に石をたくさん投げ込んで徹底的に証拠隠滅したとも。


ただ、前提として、なぜこれほどキリスト教が受け入れられたのかとか、なぜ一郎ではなく四郎なのかとか、その辺りは全く考えたことがありませんでした。

また、その地域の神道や仏教の関係者たちがどういう扱いを受けていたのかということも

それにしても、様々な思惑が複雑に絡み合いすぎて、解きほぐすのが難しい。