モナのひとりごと

モナのひとりごと

人工透析患者の家族として、また視覚障害者の家族として、日頃感じたこと、考えたことを記しています。
追記:2017年7月 オットが遠いところへ旅立ちました。

オットを喪ったあの日から、今日でとうとう7年です。

 
今のワタシは、平日は仕事、休日は親の介護で自分の時間がなかなか取れません
だから、お墓参りにもお彼岸以来行けずにいたのですが、、昨日は仕事を1時間早めに切り上げて、日没前ギリギリに行きました。
お墓の前にビールが供えてあるのは、きっとオットの弟さんがお義父さんのために供えたのだと思います。
オットはまったくの下戸でしたから。
 
お墓のお掃除をしているときに、恐ろしいことが起こりました。
花活けの中には、古くなった水だけが入っていました。
枯れたお花は、清掃の係の人が片付けてくれるけれど、お水までは捨ててくれません。
嫌なにおいがするお水を、排水溝に勢いよく捨てて、よく洗おうとしたその瞬間!
 
数十匹の蚊の集団が、花活けの中から飛び出してきたのです!
あんなに数多くの蚊の大群を見たのは初めてでした・・・。
ワタシの周囲を取り囲むように、蚊は飛び回っていました。
しばらく遠ざかって蚊が居なくなるのを待っていました。
水があるところ、蚊が発生する・・・。
分かってはいたけれど、今までそんなこと一度もなかったのです。
 
オットはさぞかし嫌だったことでしょう。
(モナちゃん、早く来て!ボクのお墓を掃除してよ!)
と泣いていたんじゃないかと胸が締め付けられるような思いがしました。
長崎の教会を見学したときに、お墓のお花がすべて造花でしたが、東京ではほとんど生花で、造花はとても少ないです。
でも・・・蚊も発生しないから、造花にしようかなあ。
 
今、ワタシは毎日元気で忙しく過ごしています。

おそらく、オットが亡くなって4年経ったくらいから、過去よりも未来に目を向けられるようになったのだと思います。

今でも、この季節のじめっとした暑さや雨が続く日々が、オットの命の火が消える直前を思い出してしまってつらいけれども・・・。

数年前の身を切られるような、耐えがたいつらさとはちょっと違う、しんみりとした悲しい記憶となりました。

 

今年の命日は、オットが大好きなカツ丼とバームクーヘンを食べて、オットのことを想いながら過ごします。

命日が過ぎると少し緊張がほぐれるようなきがします。

妹みたいな存在だった友人が亡くなって、1ヶ月が経ちました。

その子の旦那さまと、

「もう1ヶ月なのか、まだ1ヶ月なのか、分からないね」

と語り合いました。

 

おそらく、彼女が亡くなってからの怒濤の日々を思い浮かべると「もう1ヶ月」

これからの、彼女がいない自分の人生を少しでも想像すると「まだ1ヶ月」なんじゃないかな?

 

近所のスーパーに行くと、いつも買物をしていた彼女の姿を探してしまいます。

待ち合わせしたバス停

ランニングしていた公園

プレゼントしてくれたハンドクリームの香り

ワタシの周りは、まだ彼女の面影であふれかえっています。

 

今月末の四十九日法要の準備や、お墓探し、準確定申告、そして相続の手続きなど、6年前のオットが亡くなった時を思い出しながら進めています。

そんなとき、彼女の旦那さまがぽつりと言いました。

 

「これからは、○子が望んでいたとおりの生き方をしなくちゃいけないなと思います。外に出かけて、公園でマラソンして、バンド活動をして・・・そうしなくちゃいけないんですよね。まだとても無理だけど。」

 

彼女は、自分の病気が発覚したときに、ワタシにこう言いました。

「私の身体のことを気遣って、○○くんがずっと私のそばにいてくれるのはうれしいけど、でもそんなことはダメだと思うんです。私のことは気にせず、もっと自分の人生を大切にして欲しいんです。○○くんが私に影響されてマラソンを始めたのもうれしいし、○○くんのライブも聴きに行きたい!」

その時の彼女の表情は、まるでワタシにこう語りかけているようでした。

(オットさんがいないからと言って、泣いてばかりではダメですよ)と。

 

あの世に行ってしまったオットと彼女。

ふたりとも、ワタシたち生き残ってしまった相方を心配しているんだろうなあと思います。

この世に残ったワタシたちも、亡くなった人達の思いを大切にして、生きていかないと行けないと思います。

 

「生かされている」

そう思います。