生かされている | モナのひとりごと

モナのひとりごと

人工透析患者の家族として、また視覚障害者の家族として、日頃感じたこと、考えたことを記しています。
追記:2017年7月 オットが遠いところへ旅立ちました。

妹みたいな存在だった友人が亡くなって、1ヶ月が経ちました。

その子の旦那さまと、

「もう1ヶ月なのか、まだ1ヶ月なのか、分からないね」

と語り合いました。

 

おそらく、彼女が亡くなってからの怒濤の日々を思い浮かべると「もう1ヶ月」

これからの、彼女がいない自分の人生を少しでも想像すると「まだ1ヶ月」なんじゃないかな?

 

近所のスーパーに行くと、いつも買物をしていた彼女の姿を探してしまいます。

待ち合わせしたバス停

ランニングしていた公園

プレゼントしてくれたハンドクリームの香り

ワタシの周りは、まだ彼女の面影であふれかえっています。

 

今月末の四十九日法要の準備や、お墓探し、準確定申告、そして相続の手続きなど、6年前のオットが亡くなった時を思い出しながら進めています。

そんなとき、彼女の旦那さまがぽつりと言いました。

 

「これからは、○子が望んでいたとおりの生き方をしなくちゃいけないなと思います。外に出かけて、公園でマラソンして、バンド活動をして・・・そうしなくちゃいけないんですよね。まだとても無理だけど。」

 

彼女は、自分の病気が発覚したときに、ワタシにこう言いました。

「私の身体のことを気遣って、○○くんがずっと私のそばにいてくれるのはうれしいけど、でもそんなことはダメだと思うんです。私のことは気にせず、もっと自分の人生を大切にして欲しいんです。○○くんが私に影響されてマラソンを始めたのもうれしいし、○○くんのライブも聴きに行きたい!」

その時の彼女の表情は、まるでワタシにこう語りかけているようでした。

(オットさんがいないからと言って、泣いてばかりではダメですよ)と。

 

あの世に行ってしまったオットと彼女。

ふたりとも、ワタシたち生き残ってしまった相方を心配しているんだろうなあと思います。

この世に残ったワタシたちも、亡くなった人達の思いを大切にして、生きていかないと行けないと思います。

 

「生かされている」

そう思います。