モナのひとりごと -2ページ目

モナのひとりごと

人工透析患者の家族として、また視覚障害者の家族として、日頃感じたこと、考えたことを記しています。
追記:2017年7月 オットが遠いところへ旅立ちました。

大切なオットが亡くなって6年と4ヶ月近くが経過しました。

ワタシの人生で、こんなにも荒れまくった日々はなかったです。

悲しみ、うろたえ、虚無感、絶望感、そして驚き、怒り

それらがぐるぐるとワタシの周りで回っているような日々でした。

 

オットが亡くなった直後、ワタシはなんとかしてオットをこの世界に取り戻すことを考えました。

今ならまだ間に合う。

まだオットは戻ってこられる。

そんなバカなことを真剣に考えていたのです。

それが無理だと悟ると、早くオットの世界に行きたいと願っていました。

オットもワタシに会いたくて泣いているに違いない。

いつかは会えるけど、でもその時が一刻も早く訪れますように…。

 

オットが亡くなって3年半か4年が経った頃から、考えが少し変ってきました。

オットは、亡くなる5日前に自分の余命を医師から聞いた後、ワタシに何度も謝りました。

「モナちゃん、ごめん、ごめんなさい。」

その時は、きっとワタシが義母に責められることが申し訳なくて謝っているのだろうと思いました。

でも、それだけではないと思います。

ワタシを幸せにすることが出来なくて謝っていたのだと思います。

 

オットは、結婚してからずっと、ワタシを幸せにすることを目標としてくれました。

仕事を頑張るのも、旅行するのも、家を買うのも、一緒に趣味を楽しむのも、すべてワタシを幸せにしたかったからなのです。

「モナちゃん、ボクと結婚して幸せ?もちろん幸せだよね?」

と何度も聞いていました。

 

オットが亡くなって、ワタシが今の人生を投げやりにするのは、オットが努力して築いてきたものをすべて無にする行為だと気がついたのです。

ワタシには、かわいい姪っ子がいますが、ワタシが死んだ後、姪っ子が毎日泣いて、学校にも行かなくなったら・・・。

ワタシは本当にがっかりするでしょう。

毎日生き生きと輝いている姪っ子が見たかったのに・・・。

これまで姪っ子のためにしてきたことがすべて無になってしまいます。

 

ワタシたちは、「幸せになるための努力」をしなければいけないのです。

そうでなければ、幸せにしてくれた人たちに対して、とても失礼です。

その事に気づいてから、仕事も介護も趣味も、積極的に頑張れるようになりました。

 

そして今、ワタシのそばには何でも話せる大切な男性の友人がいます。

その人は、20年前からワタシたち夫婦の友人であり、オットはその人のことが大好きでした。

生前、オットがこんなことを言っていました。

「モナちゃん、ボク以外の男は絶対に信頼しちゃダメだよ。男はみな悪いヤツばかりだからね。」

ワタシがあきれて、

「じゃ、人類の半分は悪いヤツってこと?」

と聞き返すと、少し恥ずかしそうに、

「うーん、モナちゃんがボクとモナちゃんパパ以外に信頼してもいい男は、4人しかいないかな?」

その人は、4人のうちのひとりです。

 

仕事で大事な発表があるときや、重要な役割をこなすとき、その友人はいつもオットの遺品のワイシャツを着ています。

オットがそばで見守っていてくれる気持ちになるそうです。

「死んだ人の洋服は縁起が悪い」「気持ちが悪い」と言っていた義母と義妹に教えたい気持ちでいっぱいです。

 

オットの遺影に、いつの間にかドラムスティックやプッチンプリンを供えてくれます。

オットが好きなものを誰よりも分かってくれています。

 

そういう友人だから、信頼してもいいと確信しました。

もちろん、オット以外の人と家族になることは考えられないけど、一緒に過ごす時間を大切にしていこうと思います。

ふたりでオットの思い出話をしていると、時を忘れて穏やかな気持ちになれます。

これまでずっと、オットがいないのに幸せになっていいはずがない!と思っていました。

これからは、オットが築いてくれたものを守るために、幸せになるための努力を続けていきたいと思います。

 

先週、母と秩父の山奥にあるダリアの花園に行きました。

久しぶりに見る母の無邪気な笑顔と、美しいダリアに癒やされて、(ああ、ワタシは幸せになろうと頑張っている)と自覚できました。

 

 

 

 

 

 

実家の近くに、曼珠沙華の群生地があります。

母を連れて、早朝に行ってみました。

朝7時に現地に到着したら、もうすごい人出!

でも、ゆっくりと林の中の曼珠沙華を楽しめました。

image

 

image

曼珠沙華と母(82歳)

「赤い花に負けないように、赤い洋服を着ていかなきゃ!」

と張り切っていました。

 

父が施設に入居してから1ヶ月半が経ちました。

父は徐々に施設になじんでいます。

問題は、母。

ひとりで暮らすことがさみしいようで、

「お父さんはいつ帰ってくるの?」

「お父さんはこの家がいいに決まっている!」

「お父さんを帰して!」

と訴えてきます。

母も一緒に、父の入居する施設に入ってくれたら心配はないのですが、それはどうしてもいやだと言われてしまいました。

「だって、お母さんはまだ若いんだもの!」

確かに、入居している方たちよりは、母はまだまだ若いです。

 

「若いから、まだひとりで元気に暮らしていけるよね?」と言ったら、

「こんなに歳をとってるお母さんをひとりにさせるの!」

・・・いや、さっきまで「私は若い!」って言ってたよね?

母は、カメレオンのように若返ったり、歳を取ったりできるようです。

 

「ワタシだってひとりはさみしいけど、仕方ないんだよ」と言ったら、

「あんたは若いからいいの!」

 

へ~そうか、いいのか・・・。

ワタシはまだ若いから、オットが死んでしまっても堪えられると思われているんだ・・・。

徒歩3分でいつでも会いに行けるじゃない?

毎週末、自宅で一緒におやつを食べられるじゃない?

天国は遠くて、会いに行けないよ。

電話も通じないんだよ。

 

そう言いたいのをぐっと我慢しました。

ワタシのこれからの使命は、両親が安心して、元気に暮らせるように手助けすること。

それを終えてからじゃないと、オットに会いに行けないなあ。

父が老人ホームに入居してから3週間が経ちました。

最初の頃は、

「家に帰りたい」

「もう退院したい」

「そろそろいいんじゃないか?」

と、落ち着かない素振りを見せていて、正直、(父には無理かな?)とあきらめ始めていました。

ホーム長さんは「2週間待ってください、その頃には落ち着きます」と自信たっぷりでしたが・・・。

 

その言葉通り、2週間経つ頃には、「帰りたい」とは言わなくなりました!

それどころか、週末に一時帰宅したときには夕方近くになるとそわそわして

「もう夕食だから帰りたい・・・」

と言うではないですか!

母はちょっとがっかりして

「お父さんのおうちは、ここじゃない?」

とすねていました。

 

一時帰宅からホームに戻ったときに、ホーム長さんから

「お帰りなさい!」

と声をかけられた父は、

「お帰りなさいっていい言葉だねえ」

とニコニコするではないですか!

 

不安症の父が、他人にニコニコと笑いながら話しかけるのを、ワタシは数十年ぶりに見ました。

それだけ長い間、父の心は不安でいっぱいだったのです。

ホーム長さんは父にどんな魔法をかけたのかな?

 

カラオケイベントでは利用者さんと一緒に大きな声で歌い、

軽快な音楽が流れると、歩行器につかまりながらステップを踏んでいました。

「ここのご飯はおいしいよ」「お風呂は広くていいよ」

電話からは、父の明るい声が聞こえます。

この老人ホームを選んでよかった・・・。

あとは、独り暮らしが始まって、さみしさでふてくされている母の世話がありますが・・・。