お天気の良い大型連休のある日。

 

娘と一緒に最寄りの小さな児童公園に遊びに行った時のこと。

娘が滑り台などで遊んでいるのを横目に見ながら、私は生き物探しに精を出す。

何か居ないかなとマテバシイの枝を見ていると、良い天気なのに上からポツポツと水滴が落ちてきた。見上げると、何やら7mm程度のワラジ形の生き物がたくさん枝にしがみ付いている。

マテバシイに集まるオオワラジカイガラムシのメス

 

このフォルムは、ワラジ形のテントウムシの幼虫か、カイガラムシ系か。

 

google先生に聞いてみると、それは「オオワラジカイガラムシ」という生き物で、マテバシイなどの樹液を吸うという。樹上から落ちてきた水滴はオオワラジカイガラムシの排泄物だ。アリが集まっている様子は無いので、甘くはないのだろう。

そして、小さい蛾も一緒に居るなぁと思って見ていたら、オオワラジカイガラムシのオスであることが判明。ワラジ形のがメスで、蛾みたいのがオス。衝撃~!

 

 

オオワラジカイガラムシをじっくり見ていると、似てるけどちょっと違う生き物が混じっている。

 

これは!ググってみると、ワラジ形のテントウムシの幼虫の、ベニヘリテントウアカイロテントウの幼虫のようだ。オオワラジカイガラムシによく似たベニヘリテントウアカイロテントウの幼虫が、オオワラジカイガラムシを捕食している。体液を吸われたオオワラジカイガラムシのメスがペラペラになっている…!

 

 

ちょっとお散歩に出ただけで、今まで知る由も無かった生き物たちの命の営みが見れちゃうなんて、東京すごいなぁ。ちょっと気を付けて草木を見れば、都会に適応した生き物たちが織りなす世界を、覗き見ることが出来るのだ。

 

 

昨年からテントウムシが大好きになった娘と私。一緒に、ベニヘリテントウアカイロテントウの幼虫2匹を持ち帰って飼育してみることとした。

オオワラジカイガラムシを毎日24匹ずつ採ってきて与えていたのだが、4歳の娘の目にはオオワラジカイガラムシの方が可愛らしく映るようで、そのうちに「オオワラジカイガラムシが可哀想」と言って勝手に飼育ケースから取り出して逃がすようになった。

 

確かにね。ダンゴムシみたいに丸っこくてモソモソ歩いて鈍臭くて可愛いよ。

マテバシイの木の下に行くと木から落っこちたドジっ子のオオワラジカイガラムシが仰向けに落ちてて、足が短すぎて起き上がれずもがいているのが何匹もいる。

 

 

娘はこれを優しく拾い上げてマテバシイの幹にくっつけて歩いていた。

 

 

 

 

心優しい4歳児。木の根っこにつまずいて転んでも、自分の怪我より手のひらから飛んでったオオワラジカイガラムシの安否をまず確認する優しさ。

大したヤツだぜ娘ちゃん。

夫はというと、オオワラジカイガラムシを怖がって近付かない。

 

 

こうしてまた今年も春が来て身近な生き物を飼育する生活が始まったのだが、、、だがしかし!

生き物の飼育に当たって、餌生物の命の犠牲を娘にどう説明するかとても難しい局面にぶち当たってしまった。命は平等なのに、人間の(私の)恣意によって餌となる生き物と捕食者となる生き物が決められて、飼育ケースの中で食う-食われるの光景が展開されるわけである。それを良しとしていい理由が、私には説明出来ない。

ベニヘリテントウアカイロテントウが捕食しないまま無駄に死んでしまったオオワラジカイガラムシについて「こんなに採らなくてよかったんじゃない?テントウムシが食べないなら死ななくて良かったのに、無駄になっちゃったよ。お母さんのせいだよ。かわいそう」と言われると、ぐぅの音も出ない。

 

人間てのは矛盾を抱えて生きていくもんだ。そのうち君にも分かる日が来るよ、娘ちゃん。

 

しばらく娘との攻防と、餌集めの日々が続きそうである。