お彼岸の日
県外にある亡き父の里へ
お墓参りに行きました
母と兄と私
3人で
3人とも運転はできますが
母は高齢だし
兄は脳梗塞を患っているので
運転手の役割も担いつつ
同行しました
ただ
私の運転は
怖いですよ
ふふ…
何回か
兄と母の
ダメ出しをくらいながら
なんとか
父の実家へ
たどり着くことができました
3時間半
かかったことですよ
さて
父の実家ですが
今は
父の弟嫁である叔母さんが
息子さん(私にとっては従兄弟)と
ふたりで
暮らしています
叔父さんは
約10年前に亡くなっています
さて
久しぶりに会った叔母さんは
去年心臓の手術をされたので
動くのがしんどそうでしたが
手作りの漬物や
家の山で採った松茸を
お吸い物にしたりして
もてなしてくださいました
お身体がつらいのに
暖かく迎えてくださり
「また来てね」と
お土産まで
持たせてくれました
人づきあいを
大切にする
叔母なのです
さて
その叔母さんですが
母から聞くところによると
嫁姑問題?で
大変苦労されたとのこと
というのは
父の実家は
山の中でしたので
小さな集落の中で
近隣の方々と
上手にお付き合いをすることが
とても大切だったようです
なので
私の祖母も
集落でのお付き合いを
とても大事にしていました
お客様のもてなし方や
冠婚葬祭の取り仕切り?
近隣の方や
お世話になった方への
お礼や挨拶など
きっちり
厳しく
教え込まれたそうです
叔母のもてなし上手は
祖母の厳しい教育の
影響なのでした
ただ
その厳しさは
想像を超えていて
「この嫁は家の家風に合わない」
とかなんとかで
家族会議?を
開かれたことなんかも
あったらしい
母 曰く
「私なら実家に逃げ帰ってるわ」
同感…
そんな
厳しい祖母でしたが
晩年は寝たきりとなり
叔母さんを頼る
毎日を送っていたそうです
叔母にとって
随分と悩まされた祖母ですが
叔母は
ちゃんと最後まで
お世話をして
お見送りしました
母 曰く…
「叔母さんは
おばあちゃんの
お世話をするたびに
必ず『ありがとう』を
言わせてたんだって
それで
昔の恨み辛みを
晴らしてたみたいよ~」
なるほど~
分かる気がします
そして
祖母亡き今
叔母は言います
「祖母は本当に
きつかったけれど
おかげで
お付き合いの仕方とか
いろんなことが身について
今となっては感謝している」
時が経てば
そんな風に思えるものなのかな…
そして
この叔母さん
50代の頃に
息子をひとり
亡くしています
想像を超えるくらい
辛かったと思うけれど
我を失うことなく
気丈に振る舞われ
泣き言を
聞いたことがありません
また
旦那さん(私にとっては叔父さん)が
亡くなったときも
悲しみに打ちひしがれる様子を
見せられなかった…
もちろん
「辛かったよ~」とは
話してくれていましたけれど
誰恨むことなく
ネガティブな言葉は
口にされませんでした
そんな気丈な叔母さん
たくさんの悲しみや
苦労を辛抱して
乗り越えて
『感謝の気持ち』を胸に
日々過ごしていらっしゃる
強くて
たくましい
頼れる叔母さんです
一方
我が身を振り返ってみると
わがままな性分だからか
根っからの甘ちゃんなのか
我慢しきれないのです
仕事や
パートナーのこととか
特に…
一応
ある程度は
辛抱しようとは
するのですが
結果
とても
叔母のようには
生きられない
また
『辛抱が美徳』とは
思えなかったりもします
辛いことを
背負い込んで
心を病んだら
それこそ
大変…
なんてね
でも
辛抱が良いのか悪いのか
分からないけれど
辛抱したことで
得られる何かが
確実にあるようです
そして
その境地に達した方には
尊敬の念を
抱かざるを得ません
あっぱれ!!
叔母さん!
人それぞれ
歴史があって
酸いも甘いも噛み分けた
大先輩方はすごいです
私は
そうなれそうもないけれど
私なりに
与えられた人生を
えっちらおっちら
歩んでいこう
そんなことを思った
お彼岸の日でした