サッカー日本代表情報4/15 | NAOのNEWSブログ

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【パリ行きの命運を託された23選手】劣勢必至の総力戦でカギを握る男…“湘南の生命線”田中聡

“湘南ベルマーレの生命線” 田中聡

パリ・オリンピックのアジア最終予選を兼ねるAFC U23アジアカップが15日に開幕する。出場16カ国が4組に分かれてのグループステージから始まる五輪出場もかけた戦いは約2週間ちょっとのスケジュール的にも勝ち上がれば勝ち上がるほど総力戦が必至。ここではパリ行きの命運が託されたU-23日本代表の23選手を紹介し、田中聡にフォーカスする。 【動画】力強さが増した湘南の“心臓”、田中聡 ■田中聡(MF/湘南ベルマーレ) 10代の頃から世代を代表する1人として知られてきた田中。北信越は長野に生まれ、AC長野パルセイロU-15から湘南U-18へ。高校3年生当時の2020年には2種登録ながらもJ1リーグ17試合に出場し、翌21年から正式にファーストチーム昇格。この時点で主力としてプレーしていたなか、22年夏から1年間はベルギー1部・コルトレイクへのレンタル移籍で欧州を経験し、昨年途中に湘南へ帰ってきた。 身長174cmと大柄ではないが、本職のボランチだけでなく、時にセンターバックも務める守備能力があり、今季のJ1リーグでは第7節サンフレッチェ広島戦まで7試合連続先発フル出場。ゆえにU-23日本代表招集は湘南にとって痛手なわけだが、現A代表にはほぼいない“左利きのボランチ”、“先輩”遠藤航を彷彿とさせるデュエリスト…それが田中聡なのだ。 今回のU-23日本代表における田中の立ち位置は、ひとまず中盤のバックアッパーといったところか。[4-3-3]をベースに戦う大岩剛監督のもと、現チームは藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン)、山本理仁(シント=トロイデン)、松木玖生(FC東京)の中盤3枚が固いところ。いずれも世代のトップランナーであり、リーダー格とも呼んでいい3枚だ。 とはいえ、その序列が明確に劣っているわけではない。中2日が基本の総力戦、劣勢にまわる可能性も承知で臨まねばならない一戦一戦において、守備面で特色を持つ田中は貴重な存在であり、先発起用の可能性はもちろん、試合途中から投入される公算も高いとみてよい。先ほどから“守備”を連呼するが、果敢な攻撃参加も苦にせず、先月下旬のU-23ウクライナ代表戦では全力スプリントからゴールも陥れている。大岩監督へのアピール、大岩監督からの信頼はバッチリだ。 湘南の先輩である遠藤航はA代表でキャプテンを担うにとどまらず、名門リバプールに在籍し、今や世界最高峰の“6番”として名を馳せる。そんな遠藤もまた、2016年のリオ五輪とそのアジア予選を経て、階段を駆け上がっていった。是が非でもパリ五輪本大会へ…田中の奮闘に期待だ。

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U―23日本代表は中国に負ける!?中国メディアが”宣戦布告”「2―1で中国が打撃戦でアジアナンバーワン撃破」【サッカーU―23アジア杯】

 

U―23日本代表のMF松木

 サッカー男子のパリ五輪アジア最終予選を兼ねたU―23アジア杯が15日、ドーハで開幕する。1次リーグB組初戦で激突する16日の日本―中国戦(午後10時開始)を前に、中国のポータルサイト「捜狐」が15日、「2―1で日本敗戦 打撃戦でアジアナンバーワンを撃破」と中国勝利のシナリオを大々的に”予告”した。  「捜狐」は「中国は死のグループに入った。すべての試合が決戦であり、生死をかけた戦いとなる」と強調した上で、優勝候補の日本について言及。鈴木彩艶(シントトロイデン)、鈴木唯人(ブレンビー)ら欧州組の不在について、「クラブが彼らを放出しなかったため、今大会のリストに入れなかった。彼らの欠場は日本のチーム力に影響を与えている」と指摘した。  さらに、2017年7月のU―23アジア杯予選で板倉滉(現ボルシアMG)、中山雄太(現ハダースフィールド)、旗手怜央(現セルティック)、伊藤洋輝(現シュツットガルト)らが出場した日本に中国が勝ったことを挙げ、「2つの朗報により、中国五輪代表チームがアジアナンバーワンを打倒する可能性が出てきた」と記した。  記事では、16年ぶり3度目の五輪出場に向け、中国が旧正月明けの2月中旬から2カ月間にわたって集中強化してきたことなどに触れ、「中国はオリンピックで勝つことを決意している」と期待感を示した。  日本は16日に中国、19日にアラブ首長国連邦、22日に韓国と対戦。3位までに五輪本大会の出場権が与えられ、4位は5月9日にフランスで行われるギニアとのプレーオフに回る。

 

 

 

 

 

 

 

日本代表が経験した五輪予選「迷走」 監督交代でチーム激変…「7-2-1」の奇策も散った夢【コラム】

 

92年大会から仕様が変更、「23歳以下」に出場資格

バルセロナ五輪予選の日本代表を回顧(写真はイメージです)【写真:Getty Images】

 サッカー男子のパリ五輪アジア予選がU-23アジア杯として4月15日に開幕する。カタールで行われる同大会で、大岩剛監督率いるU-23日本代表が五輪キップ獲得に挑む。 【一覧リスト】パリ五輪の切符をかけたアジアカップに挑む、U-23日本代表メンバー23人  16チームで争う大会で、アジア枠は3.5と狭き門。7大会連続出場中の日本は五輪の「常連」だが、1968年メキシコ大会の銅メダル以降、96年アトランタ大会まで28年も大舞台から遠ざかった時代があった。五輪サッカーがプロへ門戸を開き、年齢制限を設けた時期、アマチュアからプロへの過渡期にあった日本サッカーも迷走していた。(文=荻島弘一)    ◇   ◇   ◇     1992年バルセロナ大会から五輪のサッカーは大きく変わった。出場資格に年齢制限が設けられたのだ。もともと、五輪はアマチュアの大会。プロは参加できなかった。しかし、IOCがプロ参加を解禁し、参加資格も徐々に緩和。プロ参加の世界一決定戦としてW杯を主催するFIFA(国際サッカー連盟)との交渉で、五輪は「23歳以下」の大会になった。  24年ぶり五輪出場への戦いが始まったのは、日本サッカーがプロ化への大きくかじを切る時だった。日本リーグのプロ化が決まり、93年リーグ発足時に参加する10クラブが発表されたのが91年2月。この年の6、7月にアジア予選がスタートした。  山口芳忠監督率いるU-22代表(91年時)は香港、インドネシア、台湾、ラオスとの1次リーグを首位で通過。92年にマレーシアで行われる最終予選進出を決めた。山口監督は大学生主体のB代表など若い世代の監督として実績を残していたが、日本サッカー協会(JFA)はチーム力強化のためにA代表の横山健三監督を総監督に指名。実質的な指揮官交代だった。  大一番を前にした「迷走」。山口監督を中心にまとまっていたチームへの影響は小さくなかった。選手も動揺した。横山総監督は1次予選を戦ったメンバーから半分近くを入れ替え。DF陣を厚くした選考で、チームも大きく変わった。  驚いたのは、最終予選に向けての戦略。簡単に言えば「引き分け狙い」だった。五輪キップは日本、韓国、中国、カタール、クウェート、バーレーンの6チームのうち上位3チームに与えられる。当時の勝ち点は勝利が2で引き分けが1。5分でも他チームの勝ち点次第で突破が可能だった。  前回の88年ソウル五輪予選と同じように「弱者」の戦い方だった。「アジアの中での日本の立ち位置からいって、普通に戦っていては勝ち抜くのは難しい」というのが横山総監督の考え。86年W杯、88年五輪で敗れている韓国や中国との戦いを強いられ、さらに西アジア勢も強い。当時は「それも仕方ない」と思えた。  横山総監督は「7-2-1」というとんでもないフォーメーションを口にした。DFを5人並べた上でMFのうち2人も守備専任。攻撃は2人のMFと1トップだけという布陣。90分間失点しないことに重きを置いた戦い方だった。  ところが、日本の「全試合引き分け狙い」の思惑は、初戦の中国戦に1-2と敗れて崩れる。2戦目でクウェートと引き分け、バーレーンに三浦文丈(筑波大)のハットトリックで6-1と大勝して「圏内」の3位に浮上するが、五輪出場の夢を見られたのはここまでだった。  4戦目で韓国に0-1で敗れて可能性はほぼなくなった。最終カタール戦はわずかな望みにかけて「奇策」に出る。センターバックで空中戦の得点源だったDF小村徳男を、まさかのFW起用。大量得点を狙って徹底的にゴール前にボールを上げたが、結局この試合も0-1で敗れた。最終的に6チーム中5位。カタール、韓国、クウェートの「23歳以下」チームがバルセロナ行きを決めた。