天国の父に鎮魂歌を楽器演奏した記事はこちら



昨日、母が地元の大病院へ一人で行って来た。

目的は…………。


父が生前お世話になった主治医の先生への挨拶。

もう30年近くのお付き合い。


偶然、父と同じ医大出身で同じ野球部OB。

後輩といっても父と20才以上の年の差があるから、父は息子のように可愛がっていたし、先生も父親のように慕ってくれていた。

娘の私と10才くらいしか違わない(笑)


この先生がまた凄い!

スーパードクター!

長年、災害や救急医療のトップにいる脳外科医。

熊本県や石川県の被災地に飛んで行き、災害医療(DMAT)の活動の指導する立場におられる方。

数年前までは、父が診察に行くと体験談や秘話を教えてくれていた。


元野球部……つまり体育会系(笑)

上下関係も凄い!

特に父は野球も上手くて数々の伝説を残してきているので、多くの後輩医師たちに慕われていた。


本人いわく、

「お父さんは、神みたいな存在」

だった(笑)


笑い話みたいに思っていたが、父が入退院を繰り返すたびに、あまりにも特別な対応をしてくれるので、父の「神」宣言はあながち嘘ではないと実感した。


例えば……。

救急外来に父を私の車で運び、若い当直医から大した病状ではないと帰された時…。

自宅で、我慢強い父が痛い痛いと訴え続けるので、見かねた母がスーパードクターの個人スマホに電話!

すると、直ちに翌日の特別枠の診察を予約してくれ、診察の結果は即入院!

ひどい炎症の数値だったらしい汗


スーパードクターはテキパキと入院準備をしてくださり、あれよあれよと言う間にVIPフロアに入院(笑)

いや、父は医者だが一般的な個室しか入院したことがない。

だが、父を敬ってくれるスーパードクターは豪華な部屋をわざわざ用意して下さった。


退院の日は今でも忘れない。


コロナ禍で病室へ母しか行けなくて、私はVIPフロアのロビーで待機していると……。


スーパードクター登場!

私にどうもと会釈してくれ、颯爽と肩で風を切るように(笑)、父の部屋へ向かって行った。


待つこと10分…。


あ、出てきた!


一週間ぶりの父!

と、スーパードクター(笑)


なんとスーパードクター自ら父を車椅子で連れて来て下さった!

サリーちゃんのパパみたいに伸びきった髪の父に吹き出しかけたが、ドクターはそのまま従業員用のエレベーターで一階ロビーまで車椅子を押してくれた。


そしてドクターにお礼を告げて別れ、母は支払いのため受付へ。

私も父にその場で待つように言って母に付き添ったのだが…。


支払いを終えて父のところに戻ると、一人の看護師がそばに立っている。

近づいてみると…………。


「あの……お二人で車に乗せるのは大変なので手伝うようにと…。」

と看護師が言ったので、スーパードクターのお気遣いなのだとすぐにわかった。


また、別の時に救急外来を利用した時も…。

翌日に、自宅へ電話がかかってきた。

「私、救急外来部長の◯◯です。

今後困り事がありましたら、何でもご相談下さい。」

と…。


他府県の病院に勤める弟が、

「普通はそんなこと有り得へんよ!救急部長自ら電話をかけるなんて。」

と言ったので、特別なことらしい。


すべてはスーパードクターのお気遣いだった。

それも直接ではなく間接的に…。


あらかじめ父が亡くなった数日後にメールで訃報を伝えていて、その時も大変驚いていると返事がきた。


昨日、二年ぶりにドクターの診察室を訪れた母。

二年前は父が一緒だった。

寂しいと感じたらしい。


ドクターはさすがにうつむきがちで母からの報告を受けていたらしい。

経鼻経管で延命治療をしたこと、そのおかげで男の孫の誕生を喜び、可愛い孫たちに二回会えたこと。





事実上、スーパードクターとの最後の対面だった。

もう、お中元もお歳暮も贈ることはない。

医大野球部OB会の会費を払うことも………。


いつかは終わりがくる。


余談だが、ドクターは昔から父へのメール文は高齢でも読みやすい巨大文字(笑)

自分のことは必ず「小生」と書く(笑)

ところが、加齢により父がだんだんメールが打てなくなり私が代筆?をすることを告げると…。


いきなり小さめの文字(笑)

「小生」→「僕」に変わった(笑)



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