まず大前提として | あみぐるみで作る、世界に1つの『うちのコドール』

あみぐるみで作る、世界に1つの『うちのコドール』

産んでくれてありがとう˚✧₊産まれてきてくれてありがとう˚✧₊
その大切な一瞬をカタチにします。
出会えた時の、最高の幸せとぬくもりを
もう一度感じてもらえますように…♡
一体一体、心を込めて編んでいます。

お空に還った次男のドールと活動中…✨

とても長いです。
 母親として思うこと
 現実と理想が違い余裕のない事
 実母に対しての想い
 子供達への想い

をつらつら綴っています。
興味のない方は読み飛ばしていただいて構いません。
そもそも書きたかったのは次の記事なんですアセアセ



親が子供に暴力を振るう事は
どんな事例であれ虐待ですと言われてる今
こんな事を書くと反感を買うかもしれません。

でも『叩かれる痛みを知る』と言う事は
彼らが成長し、人と関わり生きていく上で
必要な経験であると思っています。

叩かれる痛みを知らないと言う事は
人を叩いた時にも
相手が感じたその痛みがわからないという事ですよね?

大好きなお母さんから叩かれた時に感じた
悲しい気持ち、怖い気持ち、
嫌われたのかもしれないという不安な気持ちなど

心に受ける痛みを

相手が受けた事がわからない、という事ですよね?


私個人としては、その方が断然怖い。


もちろん、絶対的弱者の小さな子供に
日常的に感情のまま暴力を振るうのは
絶対的にダメだとは思っていますよ。


カッとなって

モノに当たる
怒鳴り散らす
無視する
部屋から出て行く
世話をしない

これも虐待だと言われるご時世。

『どんなに小さな子供でも、話せばちゃんとわかります』
なんて専門家は言うけれど

もちろん虐待死が増えていて
189(いちはやく)への通報が勧められている世の中

理不尽な虐待を受けている子供達が
どうにか救われますように
痛ましい死のニュースが流れませんように

と願う自分はいるけれど

おじいちゃん、おばあちゃんに叱られる事

近所のおじちゃん、おばちゃん達が
下校中の子供達に声をかけて叱ること

さらに言えば学校の先生達にまで
がっつり叱られる事が極端に減ってる中

我が子を叱ることができるのは親だけ。
間違ったことを正してあげられるのは親だけ。

そんな責任ばかりがのしかかって
なんでも自分が
我が子を正してあげなくてはいけない状況で

虐待は絶対にしてはいけないからしませんて
話したらちゃんと伝わりますなんて
優しく何度も語りかけて…

そんな聖母マリア様みたいな…
余裕のあるお母さんいます?

叩いた事ないって人がいたとしても
怒鳴ったり無視したこともない人なんています?


いるわけないでしょそんなお母さん。


そしてそんな綺麗事ばっかりの子育てが
正しい!と理想ばかり並べられて

それとは違う子育てをしている自分を
『ダメな母親』と自己嫌悪して

それにイライラ。
何をしても何を言ってもうまく行かず
伝わらない。変わらない。
結果子供に当たる。
また自己嫌悪、の繰り返し。

そして外で子供が何かしてしまった時には
『親の育て方が悪い』でしょ?


ちゃんと『理想の母』しなきゃ。
いつもニコニコ優しい母
怒鳴ったり叩いたり無視したりしない
無償の愛で子供を包み込む優しい母。

したいけど全然できない
自分はなんてひどい母親だろう

そーやって追い詰められていく母親には
一体誰が手を差し伸べてくれるの??



うちの主人は
家事は掃除以外ほぼできます。
子供の面倒もかなり見てくれる方で
コロナの影響もあり、買い出しと炊事は完全に主人担当。
一般的に言えば、協力的というのを通り越して
もはや2人で家のこと、
子供達の事を分担していると言える程。

私が専業主婦な事を考えたら
かなり甘えていると思います。

本当にありがたい。
その点はとても感謝していて
頭が上がりません。



それでも精神的に余裕がない時がある。



華瑠は1歳半を越えて
生活サイクル的にはだいぶ楽にはなってきたものの

まだまだ基本的には
ちょっと目を離した隙に
怪我したり死んでしまったりするような生き物

だと思っています。

二言目には『イヤ!』
気に入らないと、ところ構わず泣き叫ぶ、寝転ぶ
イヤイヤ期真っ盛り。

私の目は常に華瑠に向きがちです。

倖宏は来年度小学生に上がるのもあって
かなりしっかりしてきました。
大体の事は自分でやってくれます。
寂しい思いもさせてるだろうけど
素直で優しい子に育っていると思っています。


これだけ恵まれている私が余裕ない事あるんやから

例えば

年子の未就学児達を育てていて
イヤイヤ期に、兄弟喧嘩、一番下の子は授乳
ワンオペ、旦那も子育てや家事に非協力的
それどころかプラス旦那のお世話
周りに頼れる親も兄妹も友達もいないお母さん

とか…どうやって精神的に保って
子育てやっていってるんやろう

とか思っちゃう。




前置きがとても長くなりましたが

私と子供達の間には
確かな愛情があって、
信頼関係があって、
(と思っているのは私だけかもしれないけれど)

その上で、倖宏に手をあげる事もごくたまにあります。


駐車場や道路でふざけたり安全確認をせず
車に轢かれかけた時が一番最近の事でした。

咄嗟に手を引っ張って、肩あたり叩いて
めちゃくそ怒った。

毎回駐車場でふざけるなって言うのに
危ないからって言うのに
何度言っても全然伝わらない。

咄嗟に感情的になったからって本気で殴るわけではなく
背中とかお尻を軽く叩く程度です。
痛いとは思う。

でも叩いたら必ず、後でそのことは謝ります。

なぜその時叩いてしまうほど怒ったか
何を約束して欲しいのか話をした後
わかっていそうな感じなら最後にハグしてます。
倖宏はそーゆー時泣いてしまうタイプなので
泣き止むまで抱きしめています。

母ちゃんは倖宏の事が大好きで
怪我したり死んだらしたら悲しいから怒るんだよとか
大人になった時に困ったり
誰かに助けてもらえなくて損したりするの嫌だから
間違ってると思ったら怒るんだよ的な事を伝えています。

もちろん
それで自分の暴力が正当化されるとは思っていません。
子供のうちから『叱られる事』に
ありがたみが感じられるはずはないし

一度で話を理解できるわけではないので…

ここまでしても同じことをしますけどねチーン
どーしたらいいんだチーン

それでも見る人が見たら
『虐待だ…!』って言われる事もあると思います。
前なんかゆめタウンの駐車場やったから、
見てる人いただろうし。

今ここでこうやって書いても
虐待って言われても仕方ない事もわかってるし

例え我が子でも叩くのは良くない事なのは
ちゃんとわかってます。

言葉が出る前に手が出た時には
母として至らないな。と悲しく情けなくなります。

これはあくまでも私の考えであり
倖宏にどこまで何が伝わってるか
彼が大人になって、人の親になって初めて
よかったのか悪かったのかがわかる事だと思います。

私自身、母に昔厳しく躾けられました。
怒鳴られたり叩かれたり殴られたり
家から締め出されたりもたくさんしました。

だけど人の親になった今

それ以外の部分も含めて愛情を感じた事
今だからこそ理解できる母としての想い、行動も
たくさんあるからこそ思うことです。

子供の時にたくさんさせてもらった習い事
楽しい経験

今の自分の楽しみに繋がっているものもとても多く

特にハンドメイドなんかは
それを介して誰かの支えになれていたりと
今とてもやりがいを感じているものの一つで

厳しいながらも母が私を
割と真っ当な人間に育ててくれた事は
とても感謝しています。

反抗期に暴力に屈したくなくなって
強く強く反発した私。

親になってその想いをぽろっと伝えたら
母はそれを聞いて泣きそうだったと言いました。

だからたくさん殴られてよかったとも決して思いません。
もっとやり方があるだろうと思った事もあるし

いつもイライラしていたから
母のご機嫌を伺ってはコソコソ自室に逃げ込む
という事は日常茶飯事で
そんな生活は決して心地よくはなかった。
唯一私たちの味方をしてくれる父の事は大好きでしたが
そんな様子を見ては
『いい顔ばっかりしてムキー!!』と
大好きな父
母から怒られているのを見るのも悲しかった。

だから私は極力、暴力で言うことを聞かせる
恐怖政治のような事は絶対したくないとも思っているし
子供の前で感情的に主人を罵る事はしない
と決めています。

今となっては
仕事しながら3人ほぼワンオペで育てて
旦那は単身赴任で帰ってこないと思ったら
外で他の女とよろしくやってました なんて
そりゃ毎日余裕ないわ
とも思いますけどね滝汗



話脱線したわすみません

私は華瑠に手を挙げた事はまだありませんが
きっとこれから倖宏と同じ理由で出てくると思います。

怒鳴り散らす事や無視に対しては
何回同じことを言っても伝わらなくて
自分の心の余裕がなかったりして
『こんな小さな事でイライラして、
 ダメな母ちゃんやな』と
自分の至らなさに情けなく思う事もしょっちゅうです。

母だって人間やもん。

完璧なんて無理。生理前は特にイライラするし。


でも大前提として子供達はみんな、
今はもうここにいない次男も含めて
私にとって命より大切な宝物です。

愛情と責任を持って
自分達家族にとって
より良い子育てをしたいと考えています。


長々と書いたけども
私は自分が立派な人間、母であるとは微塵も思わないし
何を持って立派なのか、そもそもわからない。

だから子供達にも『立派になれ』とは言わないし
勉強や運動ができなくでも
いい大学に行かなくてもいい仕事に就けなくても
結婚しなくても別にいいけど

どんな自分でも、
いいところも悪いところも全部合わせて
自分を好きでいて欲しい。
当たり前の事に当たり前に感謝できる人でいて欲しい。
そして、そこに存在してるだけで
誰かを支えてあげられるような
自分がしんどい時には必ず誰かが寄り添ってくれるような
暖かみのある人に育ってほしいなぁ。

という理想のもと子育てをしているつもりです。

が。

以上の私の考えを多少伝えてはいるはずの
主人がそもそも的外れな事言ったりやったりするので

頭を悩ませる事になるのですねーチーン

どうしたもんやらです。


で、次の記事の事を書きたかったのです。

お付き合いいただいた方々
ありがとうございましたニコニコアセアセ