待ちに待った赤ちゃんが生まれました。

予定日から待つ事約1週間、ぷくぷくのとってもかわいい赤ちゃんがパパとお姉ちゃん達の大声援の中で生まれてきました。無事に元気な赤ちゃんを迎えられたこと。産婦さんにも赤ちゃんにも、ご家族、そして一緒にお産の介助をしてくれたスタッフにも感謝の気持ちでいっぱい。

 

ほっとしてお産の余韻につかりながら、2時間後の観察までの時間に、20年以上ずっと一緒に頑張ってきた同志の助産師と今日のお産の事、近況報告などをする時間は私にとっては何とも言えない充実した時間です。

 

助産所でのお産は、ママや赤ちゃんの命に関わる場合に使用する限られた薬剤以外は使えません。その分、女性に備わる産む力を引き出し、安産するためのたくさんの工夫をして、妊娠中から妊婦さんと一緒に準備をします。

 

助産所というとスーパーナチュラルな何も医療介入ができない状態を思い浮かべる方もいるかもしれません。でも、一言で「開業助産師」とは括れないほどに、助産院ごとに様々な考え方があって助産所ごとに「色」がある。

 

その中で私は少し医療の力も活用したい派。自然淘汰は受け入れがたいし、何かに備えてできる限りのことはしておきたい。分娩監視装置も使いたければ胎盤が出た後の出血に備えて血管確保もしておきたい。基本的には使わないけれど、毎回いつでも始められるように子宮収縮剤の入った点滴も準備する。一方で、予定日が近くなると部屋を何度も雑巾がけして清め、厄除けのお香を焚いてみたり、盛り塩をしたり、般若心経を唱えてみたり。お産が進まなければ、アロマを使い、お灸をしてもらい、金粒をつかったり、バランスボールで跳ねたり、半身浴をしてみたり。今の時代に私達助産師が使えるものは何でも使って、少しでも安全に、少しでも楽に、少しでも産婦さんやご家族、そして赤ちゃんが幸せになれるように。祈るような気持ちでお産にあたる。

 

それでも、全てが何も問題なく終わるわけではもちろんなく、思わぬ事態が発生した場合でもまっすぐに自分が受け止めなくてはいけない。その責任の重さに押しつぶされそうになるのを振り払いながら、毎回必死にお産に向き合う。私が迷っている様子を察知するとすぐに同志が後ろでささやく。そのパワーは瞬時の決断に勇気をくれる。

 

助産所で新しい命を迎えたいというご家族がいれば精一杯お手伝いして、元気な泣き声にほっと満たされ、お母さんの無事に落ち着きを取り戻し、そして退院して送り出して幸せに浸る。こんな尊い時間にただただ感謝。

 

今回のお産のあと、同志とはちょっと寂しい話をした。

お互いそろそろアラカン。

 

最近では私達が助産所で出産を受け始めた時代とはずいぶん変わってきたよね。って。あの頃の、病院の中で沢山の仕事の合間にお産のケアをしなくてはいけなかった虚しさ。出産予定日を1日でも過ぎたら計画出産。入院してラミナリアで子宮口を広げて、翌日は6時からPGの膣錠とマイリスの静注を1時間おき、アトニンとプロスタ両方が入った点滴で陣痛をおこして、子宮口が8cmになったら分娩室に入室してブスコパンを筋注、全開になったら厚切り会陰切開、間欠時には切開断面からぴゅ~っと出血。馬乗りになってお腹を押して、それでも生まれなければ吸引分娩。お産のあとで涙ながらに「ありがとうございました」と感謝の言葉を頂くたびに胸が張り裂けそうだった。。。クリニックには助産師が勤務していない所も多いのに、陣痛が来ている産婦さんがいても医師はポケベルを持ってお出かけしたし、准看学校の学生が人工破膜。一人ぼっちで陣痛を耐えさせて分娩介助だけする。。。今では考えられない時代だったから。病院で出産したって、結局は異常を発見する人がいなければ医師には伝わらない。それならば助産所で丁寧にお産に向き合おう。必要ならば適切に判断して医療に繋げていこう。ネガティブからの始まりだったね。って。                

 

いつまでお産やろうか。顔を見合わせてしまった。

 

会社勤めの同級生の口から定年後の話が聞かれるようになった。私はと言えば、子供たちがやっと概ね一人立ちできてさぁやっと思いっきり仕事に打ち込もうかという所だけれど、お産に関しては少し考えてしまう。もともと自分がメインでお産を受けるのは、咄嗟の時の判断力を考えると定年の年齢には卒業だなとは思っていたけれど、今、私の周りの病院やクリニックには沢山の素敵な助産師さん達が働いている。仕事に追われて産婦さんを放っておかざるを得ないような状況も昔ほどはなさそう。それでも私はお産を続けていく?私は何ができる?