タイとベトナムの子供と手紙を通じて交流している。

(NGOを通じて、その子たちの暮らす地域への支援もしている。)

手紙のやり取りを始めた最初の頃は、2人とも紋切り型の内容で(私の方も「時候の挨拶」的な内容で)、

 

手紙をありがとう。私は元気です。あなたはどうですか?あなたの幸せを願っています。

 

って感じだった。

 

何度か手紙を出し、こちらのことや、あなたは何が好きなの?と言った質問を書いたりしている内に、ここ最近、送って来る手紙の文章が長くなった。

長くなった分、色々なことを書いて来てくれる。

 

ベトナムの男の子の手紙に、自分の夢はお医者さんになることだ。

とあって、その彼の夢のことを書く前の文章が、

「What do you want to do when you grow up?」

これを読んだ時、私は思わず、

「私、もう大きくなっちゃったんだけど...」

と呟いてしまった。

手紙を書く彼にとっては、手紙の先の私は自分とそれ程年齢差のない「友達」で、だから、自分と同じように、将来の夢を持っているのだろうな、と思ったのだろう。

 

大きくなってしまった私は、う~ん、、、、、と呻いてしまった。

「私は大きくなっちゃっているので、何かになりたいって、もうないんだよ。」

とでも私は返事を書くのだろうか?

それはないよね。

grow up

だもの。

彼が信じてくれたように、私は grow upしている。

年齢とかは関係ない。

彼に、今私の持っている3つの夢を書いた。

 

タイの子供の手紙は、別の意味で感銘を受けた。

 

友達とマンゴー摘みに行くこと、その時に皆でチリパスタを作って食べること。

余ったマンゴーは学校の休み時間に皆で食べること。

楽しそうな日常のことを書いてきてくれた後、私がひな祭りの頃送ったお雛様の折り紙についてのお礼と彼女の考え(お雛様は女の子を災厄から守ってくれる。と私は手紙に書いた。)、私は災厄を受けていないから大丈夫、が書かれていた。

何かのお守りを必要としていない日常を過ごしている彼女の姿が、とても美しく強く思われてならない。

その後、私たちはお金持ちではないけど、

「We can rich with kindness」

と文章が結ばれていた。

 

支援って何だろう?

支えてもらっているのは、むしろ、私の方じゃないのか?と、つくづく思う。

強く、美しく、自分たちが成長することを信じている子供たちが、世界にいる。

そう思うと、私は元気になる。