年に1度ぐらい、狂言を観に行く。
今日、午前中、猛然と耕耘、播種、灌水、収穫、脇芽摘みをして、午後、狂言を観に行った。
心づもりより作業時間がかかって、久しぶりの優雅なランチはパス。バナナとミルクをお昼代わりにして、すっ飛んでアステールプラザの能楽堂に行ったら開演時間に間に合った。

狂言は好きだ。
何もない舞台が、屋敷になったり、山道になったり、街道になったり、役者さんの言葉の表現と動作だけで、世界ができて行く。
たぶん作品があるなら、宇宙を舞台に作ってしまうことだってできる。
『まず、そろりそろりとまいろう。
おや、はや、火星についた。』
ってな展開が、あっさり、何気なく、日常的にできる。
私は、複雑な組み立ての内容よりは、単純な(本日の演目でなら「梟」のような)話立ての方が、役者さんの動きや言葉が面白く感じられて好きだ。
農作業をしていると、ふと、私、狂言の世界に生きている。
って感覚になることがある。
世界は単純で、日常の中に全部がある。
今日、午前中、猛然と耕耘、播種、灌水、収穫、脇芽摘みをして、午後、狂言を観に行った。
心づもりより作業時間がかかって、久しぶりの優雅なランチはパス。バナナとミルクをお昼代わりにして、すっ飛んでアステールプラザの能楽堂に行ったら開演時間に間に合った。

狂言は好きだ。
何もない舞台が、屋敷になったり、山道になったり、街道になったり、役者さんの言葉の表現と動作だけで、世界ができて行く。
たぶん作品があるなら、宇宙を舞台に作ってしまうことだってできる。
『まず、そろりそろりとまいろう。
おや、はや、火星についた。』
ってな展開が、あっさり、何気なく、日常的にできる。
私は、複雑な組み立ての内容よりは、単純な(本日の演目でなら「梟」のような)話立ての方が、役者さんの動きや言葉が面白く感じられて好きだ。
農作業をしていると、ふと、私、狂言の世界に生きている。
って感覚になることがある。
世界は単純で、日常の中に全部がある。