aha のアルバム minor earth najor sky
最初に聴いた時、その気だるく退廃的な曲調に聴いていることが重たく感じられて、それっきり聴くのを止めてしまっていた。
そのアルバムを、何年かぶりで、ふと気まぐれて聴くことにした。
ゆっくりストレッチをしながら聴いた。
かつて聴いた時のような、げんなりするような気だるさ、退廃感を感じない。
それより、気持ちが沈静していく、強ばりがほぐれていく(これは、ストレッチをしていた所為かもしれないけどね)感覚の方を感じて心地よい。
歳を経る、ってこいう風に、感覚、感性が変化していくことなのかもしれない。
アルバムの中の
i wish i cared
は、聴いていたら、何だか泣けてきた。
悲しくて、とかではなく、気持ちがほぐれて、楽になって、安堵して、ほっとして、そんな時に泣けてしまう、っていう感覚だ。
i wish i cared
は、価値観だか、お互いに対する気持ちだか、心情信念だかが、分かり合えなくなくなってしまって行く「私」と「あなた」のことを歌っている。
分かり合えないことが前提である世界に私は生きている。
って、思ったら泣けてきた。
分かり合えないから、分かり合おうとすることが、ものすごく価値のあることになる。
「私」と「あなた」の間は、完全一致する価値観も心情信念もありえない。
だから、お互いの価値観信念心情を尊重することが貴重になる。
分からないこと、分かってもらえないこと、それは当たり前のことなのだ。
そう思ったら、気持ちから力が抜けた。
好きな曲は、気持ちのストレッチになる。