25日、どうしても観たくなって、映画「テンペスト」を観て帰る。
http://www.tfc-movie.net/tempest/
観ても、読んでも「テンペスト」は、私の頭の中に混乱を残して終わる。
最後にはハッピーエンド(なのかなぁ?)で終幕(なのかなぁ?)する「復讐劇」、なんだけど、とある「島」にいる皆が皆(若い恋人たちは、取り合えず例外としても)、全員、何らかの「復讐心」ないしは「腹黒い」(のかなぁ?)野心・欲望を持っている。
そういう人物達の交錯する中、復讐から和解への流れで終わる筋書きだから、「あぁよかった。」って、カタルシスが最後にあっていいと思うのだけど、それを「テンペスト」に感じたことが、私にはない。
終幕、何もかもを宙吊り状態のまま、
「ここから先は、皆々様(観客)のものでございます。」
って、話しを放り出して、後は観客に任せてしまったような気持ちになる。
「(なのかなぁ?)」って感じるのは、この宙吊り状態で終わる幕切れのせいなんだろうな。
私が「腹黒い」からか、斜に見てしまうからか、どうにも、この話し、終幕から先も、「復讐」「欲望」「陰謀」が延々と続くように思われてならない。
無邪気な若い恋人達も、物語の舞台となった「島」を出て、領地に戻ったら、権謀術策の綾糸を渡っていくだろう、と思うし、魔法の力を放棄したプロスペロもまた、権力抗争に係わるのだろうなぁ、と思う。
人間ってそんなもん。
って、ことなんだろうか?
一番気がかり(?)なのは、怪物キャリバンの「怒り」「欲望」「復讐心」がどうなるのか、だ。
むき出しの感情(「怒り」「欲望」「復讐心」)と、それにそぐわないような、美しい夢を見る怪物キャリバンに、私は最も親近感を覚える。
(ル・グィンの「オメラスから歩み去る人々」を、ふと思い出したりもする。)
「テンペスト」に私が感じる混乱の中で、その混乱(私の日常的な「混乱」でもあるのだろうな。)を通り抜けて行く私の道があるとするなら、終幕以降のキャリバンに寄り添うことかもしれない。