夕方から雨が降り出して、今も降っている。
明日も雨らしい。
今日の午前中に白ネギの定植をしたので、雨は嬉しい。

定植の後の雨は慈雨だ。
根がしっかり着いてくれる。


家の中の梅、だいぶ咲いた。


梅を挿した金魚鉢の縁に、カーテンをまとめて留める用のケロちゃんを覗かせてみた。

蛙たちが梅花を見るって、ほぼないだろうな。

(今はまだ土の中で冬眠中だろうから。)
ケロちゃんたちも、もう暫くしたら、冬眠から覚める。

その頃には春爛漫。

 

 

家人が受傷して6年目となる。
6年前の2月23日、朝市で野菜直売をしての帰り道、脳出血した。

そのまま救急車で病院に運ばれ、命取り止めて今に至る。

その日は多分、今日みたいな暖かい日だったと思う。
梅がもう咲いていたかどうかは、覚えていない。
きっと咲いていたのだろうなぁ。
今は、梅咲いたなぁ、とか思えるから、その時よりは、気持ちが落ち着いているのだろう。


梅、三部咲きくらいかな。

来年のこの日も、その先のこの日も、

梅咲いた!

と眺め見る日が続きますように。

2月とは思えない春陽気。

.梅が半日で随分咲いた。
昨日と今日、おおよそ同じ梅枝の写真を比べたら、半日くらいで、ぽんぽん咲いたみたい。

 

昨日の夕方↓

 

今日の午前中↓


明日も暖かいらしいので、五分咲きくらいにはなるかもね。

 

夕方、鳶が飛んでいた。

かなり低い位置を、東から西へ、川筋に沿って、ゆっくり旋回をしながら飛んで行く。


今日はカラスに、ちょっかいを出されなくて、悠々の飛翔。

鳶のゆるやかな旋回を見ると、春だなぁ、と思う。
 

私の好きな言葉に、

井の中の蛙 大海を知らず
されど 空の青さを知る


がある。
前半分は中国古典「荘子」が由来の言葉。
後半は後から付け加えられた言葉なのだとか。
後半は蛙の負け惜しみ、とも取れるのだけど。

四方を山に囲まれた山間暮らしで、時折、ふとこの言葉を思い出す。
畠で屈んだまま、周りの山を見回した後、空を見上げる。
井戸がどれ程深く暗くても、底の水がどれ程冷たくても、見上げれば空が見える。
それで良いのではないか。
と思う。

外は、広々として、ウキウキキラキラ、様々に新しいこと、楽しいことがあるのかもしれない。
間違いなく、そうだろう。
それでも、ここで空を見上げ、
青いなぁ
と思うことで、私は充分なのではなかろうか。
などと。

やっぱり、負け惜しみかな。

※この言葉の本来意味することは、
広い世界は知らないが、一つのことを極めた深い知見がある。
と言うことだとか。
私は自分用の(勝手な)解釈をしている。