人生も、やはり、物理の法則にしたがう。世の中には虫のいい話はない。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 人生を長くいきてきて、世の中の動き、人の盛衰をみていると、人生も、結果的に、物理の法則に従っているのがわかる。虫のいい話など、やはりない。一番、人の動きを支配するのは、慣性の法則である。自分のあり様、自分の内部エネルギーが、変わらなければ、結局、同じ軌道をまわり、いずれは、朽ちていくことになる。つねに、人は、外部からの刺激をうける。その刺激に対して、反応する。もし、人の内部エネルギーが高ければ、その刺激をうけて、その軌道からジャンプして、さらに上の大きな軌道を回ることになる。人生でいえば、地位や名声が上がるということになる。それが、いいことかは別にして、その人の内部エネルギーに釣り合う軌道を回るということである。その内部エネルギーが足りなければ、けっして、ジャンプしない。仮に強いインパクトがあっても、上の軌道に遷移しない。なぜなら、その上の軌道を回るだけのエネルギーがないからである。仮にそこへ行ったとしても、すぐに、もとに戻る。その動きを継続する慣性の力が、その人にないからである。

 

 

 その内部エネルギーとは、何なのか、その人が持っている総合力である。経験、知恵、知識、人間性、行動力等である。人間が最初に経験する社会的なふるい、差別や階級や身分を分けるもの、それが、受験である。最終的には大学受験である。いいか悪いかは別として、昔から日本のような官僚律令国家は、科挙という試験で、身分を選別してきた。それが、今でもいきている。それが、大学受験である。それが、人生経験もみたない、知恵も、人間性も未熟な人が最初に経験する社会のふるいである。その時の内部エネルギー量とは、大学受験に必要な学習知識量である。受験勉強に勝つための知識である。当然に、多くの人は必死に勉強する。それが、内部エネルギーとなる。18歳前後のまだ未熟な人の、相対的に比較できる内部エネルギー量、それが、受験スキールの知識量、それが頭の中にたくさんあった人の方が、上の軌道にジャンプできる。人生はそれだけではないが、泣いてもわめいても、それが、この世であるので、よほど、音楽や運動や芸に対して、幼時から強い教育を受けていない人なら、その受験が、ひとつ上の軌道にジャンプするきっかけとなる。もちろん、人生はそこだけではない、仮に、最高学府にいったとしても、そこから、転落して、破滅する人もいる。

 

 

 内部エネルギー量、それは、ある意味、経済力という言葉にもなる。自分ひとりで、自力で、どれだけのお金を継続的に生み出せる力があるかである。若い未熟な女性をホストに誘う、甘い言葉をつかって、洗脳させる。借金を作らせる。当然に、経済力がない。甘い言葉が恫喝の言葉に一変する。悪い奴らは、どこまでも、自分本位である。若い未熟な女性が、お金を生むには、風俗ということになる。内部エネルギー量がないのに、つまり、経済力がないのに、甘い言葉に騙されて、債務を負わせる。経済力があれば、恫喝を一蹴できる。しかし、若い未熟な女性にはそれがない。怖いから、いいなりになる。それが、この世の縮図である。若い女性を鴨にするそういう男、その男の内部エネルギーは、若い女性を食い物にする経験値、手練手管、言葉、そういうテクニックである。もちろん、そういう男にだまされて、そういう道におとされても、その逆境を跳ね返し、そこからさらに、上にジャンプする女性もいる。今度は、金をもっている男から、金を貢がす方法を学習するからである。そういう、すけべおやじから、いかに、だまし、金を払わせるか、それも、ひとつの内部エネルギーである。そのエネルギーがたまれば、何かのきっかけで、その境遇の軌道から必ず、ジャンプできる時がくる。もちろん、いかに、だまし、金を払わせるのかといっても、それは、あくまで合法的にという条件がつく。世の中には、あくどいことを、合法的にやる人達はたくさんいる。もし、頂き女子りりこちゃんが、ちゃんと、法律にのっとって、もうけたお金をちきんと納税していたら、問題はなかった。類似したことを、商売としてやっている人はたくさんいる。かすめ取ったお金は、頂き女子りりこ、という会社に投資という形にして処理すれば、詐欺にはならなかった。彼女にもっと、内部エネルギー量があれば、犯罪者にはならなかった。

 

 

 人の内部エネルギーは、時間とともに、減衰していく。なぜなら、人間は老化するからである。定年後、ほとんどの人は、パットしない。定年時での軌道を保持するのが精一杯だからである。当然に、老化すれば、内部エネルギーは減少して、その軌道を保持するのも難しくなる。そうして、だんだんとだめになっていく。内部エネルギーを高めなければならない、そのきっかけが必要になる。それがないと、人間は、必ず、ぼけていく。

 

 

 何かのきっかけで、ひとは、ジャンプする。そして、人は、遷移する。しかし、そこから、さらに上に行こうと望めば、今まで以上の努力が必要になる。仮に、その前が、1という状態の軌道を回っていたとする。内部エネルギーが2になっている。その時、軌道と内部エネルギー量は、あっていない、大体不安定な状態である。そこで、何かしらのきっかけで、そこにインパクトが起きる。そうして、内部エネルギー2と釣り合うような軌道2へとジャンプする。まだ、その人がわかければ、軌道3へと向かいたいと夢をもつ。内部エネルギーが2の状態で、軌道3には、遷移しない。内部熟成とさらなる努力が必要になる。人生とはそんなものである。今度、2から3にいくには、1から2にかかったエネルギー量の倍はいる。それだけ時間がかかる。

 

 

 人生において、山の頂上までいける人など、ごくわずか、5合目までいけただけでも十分である。後は、その人がどんないきかたをしてきたかである。山の頂上まで行く人は、結果として、いったのであって、自分の力だけで行けるものではない。何かの後押しが必要である。そうして、それは、かならず、利他が絡んでいないと、うまくいかない。自利のためだけで行ける人はいない。仮にうまくいっても、長続きしない、自利は、他の自利に倒されるからである。人をうらぎって、成り上がっても、その人もまた、誰かに裏切られて、失脚するからである。

 

 

 世の中、何が幸せで何が不幸なのか、人それぞれである。公園で、こどもとあそぶお母さん、傍から見たら幸せそうである。けがをしたら、一生懸命世話をする。こどもが病気なら、こどもに寄り添う。おかあさんは、いつまでも、おかあさんである。おかあさんも、社会からみたら、立派なしごとである。その子育てでの経験が、どこかで機能する社会であればいいはずである。子育ても一つの経験、内部エネルギーが高まる。いずれ、子供が親離れをする時がくる。その時、どうするか、継続は力、未来を見据えて、子育てをするのか、どうか、その人の内部エネルギーは、充足されているはずである。